デジタルこどもBASEのロゴ特定非営利活動法人デジタルこどもBASE
中学生の学習ノート教科書をもう一段くわしく

江戸の三大改革 ── 享保・寛政・天保

江戸幕府は約260年続きましたが、後半になると 財政難・飢饉・農民反乱で深刻な危機に陥ります。これに対し、幕府は3度大規模な改革を行いました。享保(きょうほう)の改革(吉宗)・寛政(かんせい)の改革(定信)・天保(てんぽう)の改革(忠邦)。今回はこの「三大改革」と、その間にある 田沼時代を、一段くわしく整理します。

図でつかむ

江戸の三大改革と田沼時代(1716〜1843年) ① 享保の改革 1716〜45年・8代将軍 徳川吉宗 目安箱・公事方御定書 新田開発・上米の制 → 財政立て直しに成功 田沼時代 1772〜86年・老中 田沼意次 株仲間の公認・長崎貿易 農業より商業を重視 → 賄賂と天明の大飢饉 で失脚(1786年) ② 寛政の改革 1787〜93年・老中 松平定信 囲い米・棄捐令 寛政異学の禁・出版統制 → 厳しすぎて庶民が反発 ③ 天保の改革 1841〜43年・老中 水野忠邦 株仲間の解散・人返しの法 上知令に大名が猛反発 → 2年で挫折・忠邦失脚 1837年 大塩平八郎の乱 ── 元与力(幕府の役人)の反乱が幕府に衝撃 → 天保の改革のきっかけ 三大改革は「倹約・農業重視」。間の田沼時代だけ「商業重視」で、三大改革には数えない 改革は後になるほど行き詰まり(成功 → 反発 → 挫折)、幕府はゆらぎ幕末へ
江戸の三大改革(享保・寛政・天保)と田沼時代 ── 年代・担当者・政策・結果の流れ

享保(吉宗)→ 田沼 → 寛政(定信)→ 天保(忠邦)の順番と、結果が「成功 → 反発 → 挫折」と行き詰まっていく流れをまず押さえると、本文の細かい政策名が整理しやすくなります。

江戸時代後半の問題

  • 幕府財政の悪化:金銀の産出減・贅沢な暮らし・大火事・天災での出費
  • 飢饉:18世紀以降、寒冷化で凶作・飢饉が頻発(享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉)
  • 農民反乱:百姓一揆・打ちこわしが多発
  • 武士の困窮:物価上昇に対し、米で給料をもらう武士の生活は苦しい

① 享保の改革(1716〜1745年)── 8代吉宗

人物
徳川吉宗(とくがわよしむね、8代将軍)
紀州藩主から将軍に。「暴れん坊将軍」のモデル。倹約と農業重視で幕府財政を立て直そうとした。
  • 倹約令:贅沢を禁じ、質素を奨励。
  • 新田開発:年貢収入を増やすために新しい田を開く。
  • 上米の制(あげまいのせい):大名から米を上納させる代わりに、参勤交代を緩和。
  • 公事方御定書(くじかたおさだめがき):刑罰・裁判の法律集。
  • 目安箱:庶民の意見を聞くための投書箱。江戸城に設置。
  • 定免法(じょうめんほう):年貢率を一定に固定し、安定した税収を目指す。

吉宗の改革は 一定の成功を収め、幕府財政は持ち直しました。

田沼時代(1772〜1786年)── 田沼意次(おきつぐ)

  • 10代将軍家治のもと、老中 田沼意次が政治を主導。
  • 農業中心の従来政策と違い、商業を重視。
  • 株仲間を公認し、税(運上金・冥加金)を取る。
  • 蝦夷地開発を計画。
  • 長崎貿易を拡大し、銅を輸出。
  • しかし、賄賂・腐敗が広まり、天明の大飢饉(1782〜87)が起きて批判が集中。
  • 1786年に田沼は失脚。

② 寛政の改革(1787〜1793年)── 松平定信

人物
松平定信(まつだいらさだのぶ)
白河藩主から老中に。吉宗の孫。田沼の腐敗・大飢饉のあとを受けて、厳格な引き締め政策を行った。
  • 倹約令:徹底した質素・倹約。
  • 囲い米(かこいまい):飢饉に備えて各藩に米を蓄えさせる。
  • 棄捐令(きえんれい):旗本・御家人の借金を帳消し。
  • 寛政異学の禁:朱子学以外の儒学を禁止。学問の統制。
  • 出版統制:洒落本・黄表紙などの娯楽文学を禁止。
  • あまりに厳しく、庶民の反発も招いた:
    「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」(厳しすぎる定信よりも、緩い田沼のほうがよかった)

大塩平八郎の乱(1837年)

大塩平八郎の乱

背景天保の大飢饉(1833〜37)。大坂で米価が高騰、餓死者続出。

行動大坂町奉行所の元与力 大塩平八郎が、「救民」の旗を掲げて1837年に挙兵。

結果半日で鎮圧されたが、幕府の役人が反乱を起こしたこと自体が衝撃。幕府の威信が大きく揺らいだ。

③ 天保の改革(1841〜1843年)── 水野忠邦

人物
水野忠邦(みずのただくに)
12代将軍家慶のもとの老中。大塩平八郎の乱・外圧(モリソン号事件・アヘン戦争)への危機感から、強硬な改革を実施。
  • 倹約令:贅沢の徹底禁止。歌舞伎・寄席も統制。
  • 株仲間の解散:物価が上がるのは株仲間が独占しているから、と判断。
  • 人返しの法:江戸に流入した農民を強制的に農村に戻す。
  • 上知令(あげちれい):江戸・大坂周辺の大名・旗本の領地を幕府直轄に。
    → 大名・旗本の猛反発で 2年で挫折。

水野忠邦の改革は失敗に終わり、彼自身が 1843年に失脚。これ以降、幕府は本格的な改革ができなくなり、内憂外患のなか 幕末へと進みます。

三大改革の比較

改革 年 人物 成果
享保1716-45徳川吉宗財政立て直しに成功
寛政1787-93松平定信厳しすぎて反発
天保1841-43水野忠邦失敗、忠邦失脚

この章でつまずきやすいところ

三大改革は名前も担当者も似ていて、本文を読んでいる途中で「あれ、これはどっちの改革だっけ?」と混ざりがちです。ここでは、読みながら起こりやすい迷いを4つ取り上げ、見分け方を整理します。

三大改革の人物と元号の対応を取り違えてしまう

  • つまずく場面:本文に「享保」「寛政」「天保」が次々と出てきて、徳川吉宗・松平定信・水野忠邦のうち誰がどの改革を担当したのか、読み進めるうちに分からなくなる場面。
  • 克服のコツ:時系列で並べて覚えると整理しやすいです。①享保=吉宗(8代将軍)→②寛政=松平定信(吉宗の孫・老中)→③天保=水野忠邦(老中)。担当者の地位も「将軍→老中→老中」と移り、改革は時代が進むほど厳しさを増し、寛政・天保は反発を招いて行き詰まったという流れで読むと混乱しません。
  • ミニ例:本文に「棄捐令」と出てきたら、借金帳消しは寛政の改革(定信)。「目安箱」なら享保の改革(吉宗)と、政策名から担当者をたどると確かめられます。

田沼意次を三大改革の一人と思い込んでしまう

  • つまずく場面:本文で享保と寛政のあいだに田沼意次の政治が出てくるため、流れで読むと「田沼の改革」も三大改革に入るように感じてしまう場面。
  • 克服のコツ:位置関係と方針の違いで区別します。田沼は享保と寛政のあいだに登場しますが、三大改革には含まれません。三大改革が「農業重視・倹約」なのに対し、田沼は「商業重視」で方針が逆向きです。本文では田沼は「田沼時代」「田沼政治」と呼ばれ、改革と区別されています。
  • ミニ例:株仲間を公認して税を取ったのは田沼、株仲間を解散させたのは天保の水野忠邦。同じ「株仲間」でも、増やすか潰すかで方針が真逆だと読み取れます。

大塩平八郎を反乱を起こした農民だと思い込んでしまう

  • つまずく場面:本文で「百姓一揆・打ちこわし」が出てきた直後に大塩平八郎の乱を読むため、大塩も飢饉に苦しむ農民の代表だと取り違えてしまう場面。
  • 克服のコツ:立場(誰の側か)に注目して区別します。大塩平八郎は大坂町奉行所の元与力、つまり幕府側の役人でした。教科書がこの事件を大きく扱う理由は、農民ではなく幕府の役人が「救民」を掲げて挙兵したからです。ここを取り違えると、なぜ幕府の威信が揺らいだのかという因果関係が読み取れなくなります。
  • ミニ例:百姓一揆は農民が領主に訴える行動、大塩平八郎の乱は元役人が起こした反乱。「役人による反乱」という点が、幕府の権威が揺らいだ象徴的事件として整理されます。

改革はすべて成功したと読んでしまう

  • つまずく場面:本文の冒頭で「幕府は3度大規模な改革を行った」と整理されているため、三つとも財政を立て直した成功例だと思いながら読み進めてしまう場面。
  • 克服のコツ:結果ごとに整理するのがコツです。結果はそれぞれ違います。享保は財政を一定立て直した一方で米価対策に苦しみ、寛政は厳しすぎて反発を招き、天保は約2年で挫折して水野忠邦は失脚しました。共通点は「倹約と農村重視」ですが、結果として町人の貨幣経済の流れを止められず、改革が進むほど成果が出にくくなった、という因果で読むと本文がつながります。
  • ミニ例:上知令で大名・旗本の領地を幕府直轄にしようとした天保の改革は、大名・旗本の猛反発で挫折しました。改革=必ず成功、ではないことが分かります。

練習問題

問題1(享保の改革)
享保の改革を行った将軍は誰か。江戸城に設置された「庶民の声を聞く投書箱」を何というか。
答えを見る

将軍:徳川吉宗(8代)

投書箱:目安箱

問題2(田沼)
田沼意次の政治の特徴を、吉宗・定信と比べて答えなさい。
答えを見る

吉宗・定信が 農業重視・倹約だったのに対し、田沼は 商業重視。株仲間を公認して税を取り、蝦夷地開発・長崎貿易の拡大などを進めた。しかし賄賂・腐敗が広がり、天明の大飢饉で批判を浴び失脚。

問題3(寛政の改革)
松平定信が行った政策を3つ挙げなさい。
答えを見る

倹約令/囲い米/棄捐令/寛政異学の禁/出版統制 から3つ。

問題4(大塩平八郎)
大塩平八郎の乱はいつ、どこで起きたか。なぜ衝撃的だったか。
答えを見る

年:1837年

場所:大坂(大阪)

衝撃:大坂町奉行所の元与力という幕府の役人が、反乱を起こしたこと。幕府の威信を大きく揺るがした。

まとめ

  • 江戸の三大改革:享保(吉宗)・寛政(松平定信)・天保(水野忠邦)。
  • 吉宗:倹約・新田開発・目安箱・公事方御定書。財政立て直しに成功。
  • 間の 田沼意次は商業重視。株仲間公認も、賄賂と飢饉で失脚。
  • 松平定信:寛政の改革。厳格すぎて庶民の反発を招く。
  • 水野忠邦:天保の改革。株仲間解散・上知令で大名反発、2年で失敗。
  • 三大改革の失敗で、江戸幕府は揺らぎ 幕末へ。

もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)

※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。

目安箱から生まれた無料の病院「小石川養生所」発展

吉宗が設けた目安箱への投書がきっかけで、1722年に貧しい町人を無料で治療する小石川養生所が薬園の中につくられました。庶民の声を政治に生かす享保の改革の代表例で、約140年間も江戸の医療を支えました。

出典:日本医師会(日医on-line)

薬園とさつまいも ── いまの東京大学植物園につながる発展

吉宗は享保6年(1721年)に幕府の薬園を大きく広げ、その中で青木昆陽がさつまいもの試作を行いました。やせた土地でも育つさつまいもは飢饉に強い作物として広まり、この薬園は現在、日本最古の植物園である東京大学の小石川植物園として受けつがれています。

出典:東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)

飢饉の背景にあった「寒冷化」── 科学から読み解く発展

寛永・天明・天保という江戸時代の大きな飢饉は、いずれも気候が寒冷だった時期に重なることが、近年の科学的な研究で示されています。倹約令だけでは解決できなかった改革の難しさの裏には、地球規模の気候変動という原因があったと考えられます。

出典:東京大学大気海洋研究所

天明の飢饉を悪化させた浅間山の大噴火(1783年)発展

寛政の改革の前に起きた天明の大飢饉は、1783年の浅間山の大噴火でさらに深刻になりました。火山灰は江戸や銚子にまで降り積もって作物の生育をさまたげ、群馬県側では1400名以上が亡くなったと国土交通省は記録しています。

出典:国土交通省 関東地方整備局 利根川水系砂防事務所

村ごと埋もれた鎌原村、いまも続く発掘調査時事

天明の浅間山噴火による土石なだれで埋没した群馬県嬬恋村の鎌原村は、出土した遺物を中心に郷土資料館で展示され、火山災害と当時の生活が今も調べられています。教科書で学ぶ天明の飢饉と政治改革のきっかけが、地中の遺跡として研究され続けています。

出典:嬬恋村(嬬恋郷土資料館)