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中学生の学習ノート教科書をもう一段くわしく

明治政府の発足 ── 五箇条の御誓文と中央集権

明治新政府の最初の課題は、江戸時代の「藩ごとの支配」を終わらせ、全国を1つの政府が治めるしくみに変えることでした。五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、四民平等を、中央集権国家づくりの流れとして整理します。

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地方を治めるのはだれか ── 中央集権への3段階 江戸時代まで 大名(藩)が支配 ・大名が領地(版)と  人民(籍)を支配 ・税も軍隊も藩ごと ・幕府は藩を通じた  間接支配 → 全国を1つの制度で   動かせない 版籍奉還(1869年) 土地と人民を返す ・大名が版(土地)と  籍(人民)を朝廷へ返す ・でも藩は残る ・旧大名がそのまま  「知藩事」として統治 → 支配の実態は   まだ藩ごとのまま 廃藩置県(1871年) 藩を廃止して県へ ・3府302県でスタート  → 統合して3府72県 ・政府が任命した  府知事・県令が統治 → 税・軍・法律を   全国でそろえる   中央集権が完成へ 「返した」(1869年・藩は残る)と「廃止した」(1871年)は別の段階 ── ここがテストで問われる
地方を治めるのはだれか ── 藩支配(江戸時代)→版籍奉還(1869年)→廃藩置県(1871年)の3段階

版籍奉還では土地と人民を「返した」だけで藩と旧大名(知藩事)は残り、廃藩置県で初めて藩が「廃止」されて政府任命の府知事・県令に代わりました。この2段階のちがいが、この単元の記述問題でいちばん問われるところです。

明治政府が急いだこと

  • 政治の中心を一本化:藩ではなく政府が全国を治める
  • 身分制度を改める:武士中心の社会から、国民を動員する社会へ
  • 欧米に対抗する:富国強兵・殖産興業の土台をつくる
  • 税と兵のしくみを変える:地租改正や徴兵令につながる

五箇条の御誓文(1868年)

明治新政府が示した、国家運営の基本方針。

  1. 広く会議を興し、万機公論に決すべし
  2. 上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし
  3. 官武一途、庶民に至るまで、各々その志を遂げ
  4. 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
  5. 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし

五箇条の御誓文は、新政府が「これからどんな国をつくるのか」を内外に示した方針です。会議による政治、古い習慣の見直し、知識を世界に求める姿勢など、近代国家づくりの方向が表れています。

五榜の掲示

同時に庶民への注意書きも掲示。儒教道徳・キリスト教禁止など、保守的内容も含む。

ここが明治初期の複雑なところです。新政府は「世界に知識を求める」と宣言しながら、民衆に対しては旧来の道徳や統制も残しました。新しい国づくりは、一気に自由で近代的な社会になったというより、古いしくみを残しながら少しずつ変えていく過程でした。

つまずきポイント:新しい政府でも、すぐに全部が近代的になったわけではない
  • 五箇条の御誓文は新しい政治方針を示した。
  • 一方、五榜の掲示には、江戸時代から続く道徳やキリスト教禁止なども残っていた。
  • 明治初期は、古い制度を残しながら新しい制度へ移る過渡期だった。

版籍奉還(1869年)

大名が 領地(版)と人民(籍)を朝廷に返還する。実質的に大名の支配権を返上。

版籍奉還では、藩そのものはまだ残っていました。旧大名は知藩事として地域を治め続けたため、中央政府による直接支配としては不十分でした。

廃藩置県(1871年)

藩を廃止し 県を置く。中央政府が直接統治する 中央集権体制へ。
  • 1871年7月の決定で全国一斉に実施
  • 当初302県、後に統合され3府72県、現在の体制へ
  • 大名は東京住まいへ、給与(家禄)を受ける(後に廃止)

廃藩置県によって、政府が任命した府知事・県令が地方を治めるようになりました。これにより、税・軍事・法律を全国でそろえやすくなり、近代国家の土台ができます。

四民平等

  • 武士・農・工・商の身分制廃止
  • すべて 「平民」に
  • 苗字を持てる、職業選択の自由
  • ただし華族・士族・平民の区分は残る

四民平等によって、江戸時代の武士・百姓・町人などの身分制度は改められました。ただし、華族・士族・平民という新しい区分は残り、差別がすぐになくなったわけではありません。

つまずきポイント:平等と現実の差
  • 制度上は身分制を改め、職業選択や結婚の自由が広がった。
  • 一方で、華族・士族・平民の区分や、差別意識は残った。
  • 「四民平等=すべての差別が消えた」と書かない。

新政府の人物

  • 大久保利通:内務卿、新政府の最有力
  • 西郷隆盛:参議、後に下野(西南戦争へ)
  • 木戸孝允:参議、長州出身
  • 岩倉具視:公家出身、岩倉使節団

中央集権を急いだ理由

明治政府が最初に急いだのは、全国を一つの政府で動かすことでした。江戸時代の藩は、それぞれが領地と家臣を持ち、税を集めていました。このままでは、外国と条約を結ぶ、軍隊を整える、全国で同じ制度を行う、といった近代国家の動きができません。だから新政府は、版籍奉還、廃藩置県、身分制度の改革を進めました。

版籍奉還では、藩主が土地と人民を朝廷へ返す形をとりました。しかし藩そのものは残り、旧藩主が知藩事として治めました。廃藩置県では、藩を廃止して県を置き、政府が任命した県令が治めるようにします。ここで初めて、中央政府が全国を直接支配するしくみに大きく近づきました。

政策何を変えたか意味
五箇条の御誓文新政府の方針を示した近代国家づくりの宣言
版籍奉還土地と人民を朝廷へ返す藩主の支配を弱める第一歩
廃藩置県藩を廃止して県を置く中央政府が全国を直接統治
四民平等身分制度を改める国民を同じ制度の下に置く

覚える順番

この単元は、方針を示す → 藩主の支配を弱める → 藩をなくす → 全国制度を整えるの順で見ると理解しやすいです。五箇条の御誓文だけ、廃藩置県だけを単独で覚えるのではなく、政府が「ばらばらの藩の集合」から「一つの国家」へ作り変えようとした流れとして整理してください。

この章でつまずきやすいところ

明治初期の改革は版籍奉還・五箇条の御誓文・四民平等・地租改正と名前が似ていて順番も入り組んでいるため、本文を読み進める途中で「これは前の改革と何が違うの?」と止まることが多い単元です。読み迷いやすい4つの場面を整理します。

版籍奉還で藩が無くなったと思い込んでしまう

  • つまずく場面:本文で「大名が領地と人民を朝廷に返した」と読んだ瞬間、もう全国が政府の直接支配になったように感じます。「あれ、これって藩はもう無いんだっけ?」と思った直後の段落で廃藩置県がまた出てきて、「何が違うの?」と手が止まる場面です。
  • 克服のコツ:時系列で押さえます。1869年の版籍奉還では藩自体は残り、旧大名が知藩事として治め続けました。1871年の廃藩置県でようやく藩が廃止され、政府が中央から派遣した府知事や県令が地方を治めるしくみに変わります。「返した」と「廃止した」は別の段階だと意識すると迷いません。
  • ミニ例:版籍奉還の後も、旧薩摩藩主は知藩事として鹿児島を治めていました。廃藩置県でこの役職が無くなり、中央から派遣された役人に交代します。

五箇条の御誓文だけ読んで「明治はすぐ自由になった」と思い込んでしまう

  • つまずく場面:「広く会議を興し、万機公論に決すべし」「智識を世界に求め」という条文を読むと、いきなり開かれた近代社会になったように見えます。直後に五榜の掲示が出てきて、キリスト教禁止などの古い内容に「方針が逆では?」と混乱する場面です。
  • 克服のコツ:因果関係で整理します。御誓文は新政府が外と内に示した方針、五榜の掲示は民衆向けの注意書きで、役割が違います。明治初期は古い制度を残しながら少しずつ新しい制度へ移る過渡期だった、と教科書では整理します。同じ年に近代的方針と保守的統制が並んでいたと押さえれば矛盾に見えません。
  • ミニ例:1868年、御誓文で「世界に知識を求める」と掲げた政府は、同じ時期に五榜の掲示の一つとしてキリシタン禁制を続けました。五榜には徒党・強訴の禁止なども含まれ、方針と統制は両立していたと整理されます。

四民平等で差別が完全になくなったと思い込んでしまう

  • つまずく場面:本文で「武士・農・工・商の身分制廃止」「苗字を持てる」「職業選択の自由」と続くと、すべての身分差が消えた印象になります。直後に華族・士族・平民という新しい区分が出てきて、「あれ、結局区別あるの?」と読みが止まる場面です。
  • 克服のコツ:見分け方として「制度上のこと」と「現実」を分けて読みます。教科書では、四民平等で江戸時代の身分制度は改められた一方で、華族・士族・平民という区分は新しく設けられ、また被差別部落の人々に対する差別も実際には残った、と整理します。「平等になった」と「全部消えた」を同じ意味で書かないことがポイントです。
  • ミニ例:四民平等の後も、もと武士は士族として登録され、家禄を受け取り続けました。制度上の身分差は薄まっても、区分自体は新しい形で残りました。

地租改正で農民の負担が必ず軽くなったと思い込んでしまう

  • つまずく場面:本文で「安定した税収」「近代的な税制」と読むと、いいことづくめのように感じます。続く部分で地租改正反対一揆など民衆の反発が出てきて、「税が良くなったのに、なぜ反発?」と引っかかる場面です。
  • 克服のコツ:因果関係で読み直します。地租改正は地価の一定割合(当初3%)を土地の所有者(地券所有者)が現金で納める制度に変わった改革で、負担そのものが軽くなったとは限りません。政府は安定した財源を得ましたが、米価が下がる年は実質的に重い負担となりました。結果として地租改正反対の一揆につながった、と教科書では整理します。
  • ミニ例:改正前は米で納めていた村でも、改正後は地価の一定割合を現金で納めることになりました。米の値段が下がる年は、農家にとって重い負担となりました。

練習問題

問題
  1. 新政府の基本方針
  2. 大名が領地と人民を朝廷に返した出来事
  3. 藩を廃止して県を置いた出来事
  4. 身分制廃止の基本理念
  5. 版籍奉還と廃藩置県の違いを説明しなさい。
答えを見る

(1) 五箇条の御誓文 (2) 版籍奉還 (3) 廃藩置県 (4) 四民平等

(5) 版籍奉還は大名が領地と人民を返したが藩は残った。廃藩置県は藩を廃止し、政府が府県を直接治めるしくみにした。

問題2(制度の違い)
版籍奉還と廃藩置県の違いを説明しなさい。
答えを見る

解答例:版籍奉還は藩主が土地と人民を朝廷へ返した政策だが、藩は残った。廃藩置県は藩を廃止して県を置き、政府が任命した県令に治めさせた政策で、中央集権が進んだ。

問題3(記述)
明治政府が中央集権を進めた理由を説明しなさい。
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解答例:藩ごとに支配が分かれたままでは、全国で同じ制度を行ったり、軍隊や税制を整えたりすることが難しかったため、政府が全国を直接治める必要があった。

まとめ

  • 1868年五箇条の御誓文=新方針
  • 1869年版籍奉還、1871年廃藩置県
  • 中央集権国家の確立
  • 四民平等=江戸時代の身分制廃止。ただし新しい身分区分や差別は残った

もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)

※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。

五箇条の御誓文の原本は今も残っている発展

明治元年(1868年)3月14日に出された五箇条の御誓文は、その原本(正式には「五ヶ条ノ御誓文」)が国立公文書館に保存されています。教科書で習う文章を、当時の実物の記録としてデジタルアーカイブで見ることができ、新政府が国の方針を内外に示そうとした意気込みを感じられます。

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ

なぜ廃藩置県は大きな反乱なしに実現できたのか発展

藩をなくす改革は大名の反発を招きそうですが、実際には大規模な反乱は起きませんでした。新政府が藩のかかえる借金を引き受け、士族の禄(給与)の支給も約束したこと、さらに薩摩・長州・土佐から集めた軍事力を東京に置いていたことが、大きな理由とされています。

出典:nippon.com(廃藩置県150周年)

302県から3府72県、そして47都道府県へ発展

1871年7月の廃藩置県では、当初3府302県という細かい区分でスタートしました。その後すぐに統合が進んで3府72県となり、合併や分立をくり返した末に、明治21年(1888年)12月の香川県の分立を最後に、現在とほぼ同じ府県の区分(境界・名称)が固まりました。これがのちの47都道府県の原型です。

出典:国立公文書館 デジタル展示「変貌―江戸から東京へ―」

岩倉使節団 ── 政府の中心人物が一緒に欧米へ発展

明治4年(1871年)末の12月、岩倉具視を全権大使に、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らも副使として加わった使節団が、横浜から欧米へ出発しました。正式な随員に留学生らを合わせると総勢100名を超える大使節団です。目的は不平等条約改正の予備交渉と、欧米の制度や文物の視察で、ここで学んだことが帰国後の近代国家づくりに生かされました。

出典:国立国会図書館 国際子ども図書館「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」

2021年は廃藩置県から150年の節目だった時事

廃藩置県が断行された1871年から、2021年でちょうど150年を迎えました。これを機に、明治維新の中でも最大級の変革として改めて注目されています。藩ごとにばらばらだった日本を一つの国にまとめた歴史は、今も日本の地方制度の出発点として受けつがれています。

出典:nippon.com(廃藩置県150周年)