今の私は、ITの仕事を30年近く続け、自分の会社を経営しています。NPOもつくり、子どもたちがパソコンやAIに触れられる場所を開いています。
けれど、中学1年生の私には、そんな未来はまったく想像できませんでした。自分のことを「できない子」だと思っていたからです。始まりは、母のひと言でした。
最初のテストの結果を見た母は、心底がっかりした様子で、こう言いました。
「できる子だとは思ってなかったけど、ここまでできない子だとは思ってなかった」
その日から、私の前には暗闇が広がった気がします。
「できる子だとは思ってなかった」という呪いの言葉
何よりつらかったのは、「ここまでできない子だとは」よりも、その前の「できる子だとは思ってなかった」のほうだったのだと思います。テストの結果が悪かったから、がっかりされたのではありませんでした。母は最初から、私をできる子だとは思っていなかった。テストは、それを確かめただけだったように聞こえたのです。
こうして、「できない子」という足かせが、私にはまりました。そのあとは「生まれなかったらよかった子」「未来がない子」と、鎖が一本ずつ増えていきました。増やしたのは、私自身です。最初のひと言が、その先の鎖を自分に作らせていったのだと思います。
ただ存在していることがつらく、これが夢だったらどんなによいだろうと、毎日思っていました。消えてなくなりたいと、毎日思っていました。中学1年生の子どもが、そんなことを思いながら日々を過ごしていたのです。
母は、いわゆる毒親ではありませんでした。ただ、子どもをほめることを、とにかくしない人でした。たぶん、物事を悪いほうに考えるたちだったのだと思います。「お前は根暗だ」「ほかの子ができることができない」。かけられるのは、マイナスの言葉ばかりでした。
大人になった今は、母に悪意があったとは思っていません。ただ、悪意がなかったからといって、言葉の重さが軽くなるわけではありませんでした。子どもにとって親の言葉は、自分が何者かを告げる言葉です。親が「できない子」と言えば、子どもはそのとおりの自分になっていく。少なくとも私は、そうでした。
できない子の思考回路
「できないなら、勉強すればいい。努力すればいいだけだ」。今なら、そう思えます。けれど当時の私は、自分なんてやっても無駄だと思っていました。
より正確に言えば、がんばったのにできなかった自分に、会いたくなかったのだと思います。やらなければ、「できない子」のままでいられます。つらいことですが、知っているつらさです。やってみて、それでもできなかったら、「やってもできない子」になってしまう。母の言葉が本当だったと、自分の手で証明してしまうことになる。それが怖かったのだと、今は思います。
そうして、できないことばかりが目につき、自分の未来をすべて、自分で閉ざしていました。
軽々しく言うのは気が引けますが、学校に行きづらい子と接していると、かつての私のように、自分の能力や将来に絶望しているのではないか、と感じることがあります。その子が本当は何を思っているのか、私には分かりません。ただ、できないことばかりが目に入って、やってみることすら怖くなる。その気持ちは、自分の経験からよく分かります。
「できる自分」になってからも
大人になって、私はできない自分に向き合い、努力する人間になりました。20歳のとき、いつか起業して自分の力を試すと決めました。社会に出るときには、自分は人の何倍も努力しないといけないと考え、夜も休日も努力しました。
25歳くらいのとき、仕事が急にできるようになりました。そのあとは、才能を持って生まれた特別な人のように言われることが多くなりました。けれど心の中では、ずっと違うと思っていました。私は、できない子が、努力してがんばっただけの人間です。私をここまで連れてきたのは、才能ではなく、ひたすら積み重ねてきた努力でした。
仕事ができるようになっても、自分を信じられたわけではありませんでした。できるようになった自分は砂上の楼閣で、努力を怠れば昔の自分に戻ってしまう。その焦りに追われるように、努力を続けました。
本当に自分を信じられるようになるまでには、それからさらに長い時間がかかりました。最近になって、ふと、自分が自分を信じていることに気づいたのです。今の私は、やればできると思えています。子どものころの足かせは、それほど長く残っていたのだと思います。
言ってほしかったひと言
今でも、中学1年生のころのあの場面を思い出すと、胸が痛みます。
私がほしかったのは、「あなたには先がある」と、親が信じてくれていることが伝わる言葉でした。
あのとき私は、きっとこう言ってほしかったのだと思います。
「大丈夫、あなたはやればできる子だよ」
