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中学生の学習ノート教科書をもう一段くわしく

大正の社会と文化 ── 都市化と大衆文化

前の記事では、大正デモクラシーという政治の話を見てきました。でも大正時代(1912〜26)を生きた人々の暮らしは、選挙や政党だけでは説明できません。会社員として働く人が増え、女性が電話交換手やタイピストとして街に出て、雑誌『キング』が発行100万部を超え、家庭にはラジオの声が届く。1925年という同じ年に、『キング』創刊とラジオ放送開始が重なったのは偶然ではありません。政治の裏側で進んでいた、もう一つの大正の姿を見ていきます。

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大正の新しい暮らしと大衆文化(1920年代) 教育の普及で読者・聴衆が「大衆」になった時代 都市の暮らし サラリーマン・職業婦人 郊外の文化住宅 洋食(カレー・コロッケ) デパート全盛(三越など) メディア 新聞発行100万部超 『キング』1925創刊(27年100万部) 円本(1冊1円) ラジオ放送1925年開始 娯楽 映画(活動写真・弁士) 中等学校野球1915年〜 甲子園球場1924年完成 『キング』創刊とラジオ放送開始は、どちらも1925年(大正14年)
大正時代に広がった都市の暮らし・メディア・娯楽の新しい姿。雑誌『キング』創刊とラジオ放送開始はどちらも1925年(大正14年)に起きた

都市の暮らし・メディア・娯楽のどれも、教育の広がりで文化を受け取る「大衆」が増えたことが土台にあります。とくに『キング』創刊とラジオ放送開始が同じ1925年に重なっている点は、大正の大衆文化がこの時期に一気に花開いたことを示しています。

都市に生まれた新しい暮らし

大正時代、東京や大阪などの大都市では、それまでとは違う暮らし方が広がりました。会社に雇われて毎月給料をもらう「サラリーマン」が増え、女性の間でも、電話交換手・タイピスト・バスの車掌(バスガール)といった仕事に就く職業婦人(しょくぎょう ふじん)が登場します。

用語:職業婦人(しょくぎょう ふじん)
大正期に登場した、会社などに雇われて働く女性の呼び名。電話交換手・タイピスト・バスの車掌(バスガール)・事務員などの職業に就く女性が都市部で増えた。都市化と教育の普及を背景に、女性の社会進出が進んだことを示す言葉。

郊外には、和室と洋室を組み合わせた文化住宅(ぶんか じゅうたく)と呼ばれる住宅が建てられるようになりました。食生活でも、カレーライス・コロッケ・とんかつといった「洋食」が家庭や食堂に定着していきます。都心には三越や帝国劇場などの大型商業施設・娯楽施設が並び、「今日は帝劇、明日は三越」という言葉が流行したほど、都市生活を楽しむ人々が増えました。

用語:文化住宅(ぶんか じゅうたく)
大正末期から昭和初期にかけて郊外に建てられた、和室と洋室を組み合わせた中流家庭向けの住宅。応接間などに洋風のデザインを取り入れた点が「文化的」とされ、都市化にともなう新しい生活様式の象徴となった。

大衆文化の誕生 ── 「大衆」とは誰か

この時代を特徴づけるのが「大衆文化(たいしゅう ぶんか)」の誕生です。明治以来、教育の普及が進んだことで、新聞や雑誌を読める人、演劇や音楽を楽しめる人の数が大きく増えました。それまで文化を享受できたのは主に上流階級や知識人でしたが、大正期には、都市に住む一般の会社員や職業婦人まで含めた「大衆」が、文化の受け手として登場したのです。

メディア革命 ── 新聞・雑誌・円本・ラジオ

新聞の発行部数は100万部を超える規模に成長し、『中央公論』『改造』のような知識人向けの総合雑誌に加えて、1925年には大衆娯楽雑誌『キング』が創刊されました。『キング』はわかりやすい読み物を中心に構成され、創刊から短期間で発行100万部を超える、当時としては驚異的な人気雑誌になります。

用語:円本(えんぽん)
1冊1円という手ごろな価格で販売された文学全集などの出版物。それまで高価だった全集を一般の家庭でも買えるようにし、円本ブームを生んだ。大衆に文化を広げるしくみのひとつ。

出版業界では、1冊1円という手ごろな価格で全集を売る円本ブームも起こりました。それまで高価だった文学全集などを、一般の家庭でも買えるようにした点で、円本もまた「大衆」に文化を広げるしくみのひとつでした。

そして1925年、日本で最初のラジオ放送が始まります。翌1926年には放送を担う組織として日本放送協会(にっぽん ほうそう きょうかい、現在のNHK)が設立されました。新聞・雑誌を「読む」文化に加えて、ラジオで「聴く」文化が家庭に入ってきたのです。

娯楽の広がり ── 映画と野球

娯楽の世界でも新しい楽しみが広がります。映像に音声のない「活動写真」(映画)は、「弁士(べんし)」と呼ばれる語り手が画面の横で物語を解説する独特のスタイルで、都市の人気娯楽になりました。

スポーツでは、1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)が人気を集めます。大会は当初、大阪の豊中球場などで開かれていましたが、1924年に兵庫県に完成した阪神甲子園球場に会場を移すと、大会は一気に規模を拡大し、「甲子園」は野球少年たちの憧れの舞台になりました。

大正の文学 ── 白樺派からプロレタリア文学まで

文学の世界では、志賀直哉・武者小路実篤ら「白樺派(しらかばは)」が、個人の内面や理想主義を重んじる作品を発表しました。芥川龍之介は『羅生門』『鼻』など、鋭い人間観察を短編小説にまとめ、大正期を代表する作家となります。中里介山の『大菩薩峠』のような大衆小説も、多くの読者をつかみました。

用語:プロレタリア文学
労働者や農民の生活・苦しみを描くことを目的とした文学。大正末期から昭和初期にかけて登場した。小林多喜二が1929年に発表した『蟹工船(かにこうせん)』が代表作で、過酷な労働環境で働く漁業労働者の姿を描き、社会運動とも結びついた文学として知られる。

大正末期になると、労働者や農民の生活を描くプロレタリア文学も登場します。小林多喜二が1929年に発表した『蟹工船』は、過酷な労働環境で働く漁業労働者の姿を描き、社会運動とも結びついた文学として知られています。哲学では西田幾多郎が『善の研究』を著し、柳田国男は各地の民間伝承を記録する民俗学の基礎を築きました。

都市と農村、そして関東大震災

ただし、こうした新しい暮らしや文化を実際に味わえたのは、主に都市部の人々でした。電灯やラジオが農村にも広がるまでには時間がかかり、都市と農村の生活水準の差は大正期を通じて残り続けます。

1923年の関東大震災は、東京・横浜の街を壊滅させる大きな被害を出しましたが、その復興の過程は、コンクリート建築や地下鉄の登場など、都市のモダン化をむしろ加速させる面もありました(震災そのものの被害や混乱の詳細は、前の記事で見たとおりです)。

この章でつまずきやすいところ

大正の文化は、明治の文明開化や昭和のモダン文化と混同しやすいところです。読み進める途中で生まれる迷いを、具体的にほぐしていきます。

大正の文化と明治の文化(文明開化)を混同する

  • つまずく場面:「洋服」「洋食」「新しい暮らし」という言葉が明治の文明開化でも大正でも出てくるため、時期を混同しがちです。
  • 克服のコツ:主役で区別しましょう。明治の文明開化は「政府が主導し、都市の一部のエリート層が洋風を取り入れる」段階です。大正の大衆文化は「教育が広がった結果、一般の会社員や職業婦人まで文化の受け手になる」段階です。「誰が」文化を担っているかで見分けましょう。
  • ミニ例:本文の職業婦人・文化住宅・『キング』100万部は、いずれも「大衆」が主役になった大正期の現象です。

『キング』創刊とラジオ放送開始を昭和の出来事だと誤解する

  • つまずく場面:ラジオや大衆雑誌は「新しい・現代的」な響きがあるため、つい昭和の出来事だと思い込んでしまいます。
  • 克服のコツ:どちらも1925年(大正14年)という共通の年で覚えましょう。ちょうど同じ年に、前の記事で見た男子普通選挙法・治安維持法も制定されています。大正の最後の数年に、政治面でも文化面でも大きな変化が集中していた、とまとめて理解すると混同しません。
  • ミニ例:『キング』創刊(1925)、ラジオ放送開始(1925)、男子普通選挙法・治安維持法(1925)は、すべて同じ年の出来事です。

プロレタリア文学の位置づけがわからなくなる

  • つまずく場面:白樺派やプロレタリア文学など、文学の流派の名前が並ぶと、それぞれの特徴や時期の違いが頭の中で整理できなくなります。
  • 克服のコツ:「誰を描いているか」で区別しましょう。白樺派は個人の内面、プロレタリア文学は労働者・農民の集団的な苦しみを描いています。プロレタリア文学は大正末期〜昭和初期に登場した、比較的新しい流れだという時期感も覚えておきましょう。
  • ミニ例:小林多喜二『蟹工船』(1929)は、労働者の過酷な環境を描いたプロレタリア文学の代表作です。

関東大震災がすべての新しい文化のきっかけだと思い込む

  • つまずく場面:本文の最後に関東大震災の復興が都市のモダン化を加速させたと書かれているため、「大衆文化はすべて震災(1923)の後に始まった」と誤解しがちです。
  • 克服のコツ:時期を分けて考えましょう。新聞・総合雑誌の拡大や『キング』の下地になる読者層の広がりは、震災より前から進んでいました。震災はもともと進んでいたモダン化の流れを「加速させた」出来事であり、「始まり」ではありません。
  • ミニ例:全国中等学校優勝野球大会の開始は1915年、関東大震災は1923年です。震災より前から大衆の娯楽は育っていました。

練習問題

問題1(用語)
次の用語の意味を簡潔に答えなさい。
  1. 職業婦人
  2. 文化住宅
  3. 円本
  4. 白樺派
  5. プロレタリア文学
  6. 日本放送協会
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(1) 職業婦人:大正期に登場した、会社などに雇われて働く女性の呼び名。電話交換手・タイピスト・バスの車掌などの職業に就く女性が都市部で増えた。

(2) 文化住宅:大正末期から昭和初期にかけて郊外に建てられた、和室と洋室を組み合わせた中流家庭向けの住宅。

(3) 円本:1冊1円という手ごろな価格で販売された文学全集などの出版物。それまで高価だった全集を一般の家庭でも買えるようにした。

(4) 白樺派:志賀直哉・武者小路実篤らを中心とする文学の流派。個人の内面や理想主義を重んじる作品を発表した。

(5) プロレタリア文学:労働者や農民の生活・苦しみを描いた文学。小林多喜二の『蟹工船』(1929)が代表作。

(6) 日本放送協会(現在のNHK):1925年に始まったラジオ放送を担う組織として、1926年に設立された。

問題2(年代)
次の出来事を年代の古い順に並べなさい。
  1. 阪神甲子園球場の完成
  2. 全国中等学校優勝野球大会の開始
  3. 関東大震災
  4. 『蟹工船』の刊行
  5. ラジオ放送の開始
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(2) → (3) → (1) → (5) → (4)

  • (2) 全国中等学校優勝野球大会の開始 ── 1915
  • (3) 関東大震災 ── 1923
  • (1) 阪神甲子園球場の完成 ── 1924
  • (5) ラジオ放送の開始 ── 1925
  • (4) 『蟹工船』の刊行 ── 1929
問題3(記述)
大正時代に「大衆文化」が生まれた背景を、教育の普及と関連づけて説明しなさい。
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解答例:明治以来、教育の普及が進んだことで、新聞や雑誌を読める人、演劇や音楽を楽しめる人の数が大きく増えた。それまで文化を享受できたのは主に上流階級や知識人であったが、大正期には都市に住む一般の会社員や職業婦人まで含めた「大衆」が文化の受け手として登場した。この「大衆」を読者・聴衆とする新聞・雑誌・映画・ラジオなどが発達したことが、大正の大衆文化の誕生につながった。

問題4(記述)
大正の都市部でどのような新しい暮らしが生まれたか、具体的な例を2つ以上あげて説明しなさい。
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解答例:会社に雇われて働くサラリーマンが増え、女性の間でも電話交換手やタイピスト、バスの車掌といった職業に就く「職業婦人」が登場した。郊外には和室と洋室を組み合わせた「文化住宅」が建てられ、食生活ではカレーライスやコロッケ、とんかつといった洋食が家庭や食堂に定着した。都心には三越や帝国劇場などの商業施設が並び、都市生活を楽しむ人々が増えた。

問題5(記述)
『キング』創刊とラジオ放送開始がどちらも1925年である点を踏まえ、大正時代のメディアの変化についてまとめなさい。
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解答例:1925年には、わかりやすい読み物を中心とした大衆娯楽雑誌『キング』が創刊され、短期間で発行100万部を超える人気雑誌になった。同じ年に日本最初のラジオ放送が始まり、翌1926年には日本放送協会(現在のNHK)が設立された。これによって、新聞・雑誌を「読む」文化に加えて、ラジオで「聴く」文化が家庭に入ってきた。同じ1925年に男子普通選挙法・治安維持法も制定されており、大正末期は政治面・文化面の両方で大きな変化が集中した時期だったといえる。

まとめ

  • 都市化:サラリーマン・職業婦人(電話交換手・タイピスト・バスガール)の登場、郊外の文化住宅、洋食の普及。
  • 大衆文化の誕生:教育の普及で読者・聴衆が「大衆」化 → 新聞100万部超、総合雑誌『中央公論』『改造』。
  • 『キング』(1925創刊・100万部)、円本(1冊1円)、ラジオ放送開始(1925)→ 日本放送協会(1926)。
  • 娯楽:映画(活動写真・弁士)、全国中等学校優勝野球大会(1915開始)→ 甲子園球場(1924)。
  • 文学:白樺派(志賀直哉・武者小路実篤)、芥川龍之介『羅生門』、プロレタリア文学(小林多喜二『蟹工船』1929)、柳田国男の民俗学。
  • 関東大震災(1923)後の復興でモダン都市化が加速。
  • ただし新しい暮らしを味わえたのは主に都市部で、都市と農村の格差は残った。

もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)

※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。

日本初のラジオ放送局は東京・愛宕山に建てられた発展

NHK放送博物館は、1956年に日本で初めて放送局が建てられた「放送のふるさと」愛宕山に開館した、世界最初の放送専門ミュージアムです。1925年に始まったラジオ放送から現在まで、初期のラジオ機材や歴史的な放送原稿など3万点以上の資料を収蔵しています。

出典:NHK放送博物館

甲子園球場は完成した年からいきなり満員だった発展

日本高等学校野球連盟の記録によると、全国中等学校優勝野球大会は1915年の第1回は大阪の豊中球場で開催されました。1924年(第10回)に阪神甲子園球場が完成すると、この大球場は開催3日目で早くも超満員となり、入場お断りの掲示が出たと記録されています。大衆の娯楽として、この大会がどれほどの人気を集めていたかがわかります。

出典:日本高等学校野球連盟「大会小史」

大正期の作家たちの肖像は国立国会図書館で見られる発展

国立国会図書館の電子展示会「近代日本人の肖像」には、白樺派の志賀直哉・武者小路実篤や、新思潮派の芥川龍之介・久米正雄・菊池寛など、大正期に活躍した文学者の肖像写真がまとめて紹介されています。教科書で名前だけ覚える作家たちの、実際の顔を確認できます。

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」