中学生の学習ノート教科書をもう一段くわしく

飛鳥時代・聖徳太子 ── 十七条憲法と冠位十二階

6世紀末、日本は内輪もめが続く豪族の時代から、天皇中心の中央集権国家へと舵を切りました。その先頭にいたのが 聖徳太子(厩戸王)。冠位十二階十七条憲法で役人のしくみと心構えを定め、遣隋使で中国の進んだ制度を学ぶ ── 飛鳥時代の改革を、一段くわしく整理します。

図でつかむ

飛鳥時代・聖徳太子 ── 十七条憲法と冠位十二階の流れ 背景 できごと 変化 影響 歴史は、背景、できごと、社会の変化、後の時代への影響を順 に並べると因果関係が見えます。
飛鳥時代・聖徳太子 ── 十七条憲法と冠位十二階の流れ

歴史は、背景、できごと、社会の変化、後の時代への影響を順に並べると因果関係が見えます。

飛鳥時代の年代

  • 6世紀末〜710年(飛鳥に都が置かれていた時代)
  • 都の場所:飛鳥(あすか、奈良盆地南部)
  • 代表的人物:聖徳太子(厩戸王)・推古天皇・蘇我馬子

大化の改新前の政治状況

6世紀の日本は、有力豪族の 蘇我氏(そがし)物部氏(もののべし)が激しく対立していました。仏教受容をめぐる争いで蘇我氏が勝ち、6世紀末には蘇我氏が政治を牛耳るようになります。

聖徳太子の登場

人物
聖徳太子(しょうとくたいし、574〜622年)
本名は 厩戸王(うまやどのおう)推古天皇(女帝)摂政として政治を行った。蘇我馬子と協力しながら、天皇中心の国づくりを進めた。
  • 摂政(せっしょう):天皇の代わりに政治を行う役職。天皇が幼いか、女性で外交が難しい場合に置かれた。
  • 推古天皇は日本初の 女帝

① 冠位十二階(603年)

用語
冠位十二階(かんいじゅうにかい)
役人の身分を 12の位(くらい)に分け、それぞれに 冠(かんむり)の色を定めた制度。
冠位十二階のねらい

従来は 家柄(氏姓)で位が決まっていた。

これに対し、冠位十二階は 個人の能力や功績で位を上げ下げできる仕組み。

結果:豪族の世襲ではなく、天皇の任命する官僚として役人を組織化。

② 十七条憲法(604年)

用語
十七条憲法
役人の 心構えを17の条文で示した文書。法律というより 道徳規範
有名な条文

第1条和をもって貴しとなす」── みんなと仲よくすることを大事にせよ。

第2条篤く三宝を敬え」── 仏(仏教の三宝)を篤く敬え。

第3条詔を承りては必ず謹め」── 天皇の命令には必ず従え。

なぜ「憲法」と呼ばれるか
  • 近代的な憲法(国家の最高法)ではなく、役人の道徳規範
  • ただし、政治の根本方針を示した最古の文書として「憲法」と呼ばれてきた。

③ 遣隋使(けんずいし)── 中国に学ぶ

  • 遣隋使:聖徳太子が、隋(ずい)(中国を統一した王朝)に派遣した使節団。
  • 目的:中国の進んだ政治制度・文化・仏教を学ぶ。
  • 第1回(600年):詳しい記録は中国側に。
  • 第2回(607年)小野妹子(おののいもこ)を派遣。
  • 意義:日本を中国と対等な国として位置づけようとした。
小野妹子が持っていった国書

日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す

→ 「日の昇る国の天子(聖徳太子)が、日の沈む国の天子(隋の煬帝)に手紙を出します」

隋の煬帝(ようだい)は「無礼だ」と怒ったと伝わるが、隋は使者を返した。日本を 対等な国として扱ったことになる。

飛鳥文化 ── 日本初の仏教文化

  • 聖徳太子の保護で 仏教が広まり、寺院や仏像が作られた。
  • 法隆寺(ほうりゅうじ):聖徳太子建立。現存する世界最古の木造建築。世界遺産。
  • 四天王寺(してんのうじ):大阪。聖徳太子建立。
  • 仏像:法隆寺の 釈迦三尊像百済観音弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺)など。
  • 中国・朝鮮の影響を受けつつ、日本独自の仏教文化が芽生え始めた。

聖徳太子の死とその後

聖徳太子は 622年に49歳で亡くなりました。彼の死後、政治の実権は蘇我氏が握りますが、これが 大化の改新(645年)で打破されることになります(次の単元)。

練習問題

問題1(人物)
聖徳太子の本名は何か。誰の摂政として政治を行ったか。
答えを見る

本名:厩戸王(うまやどのおう)

誰の摂政:推古天皇(日本初の女帝)

問題2(冠位十二階)
冠位十二階の制度のねらいは何か。それまでの制度との違いを答えなさい。
答えを見る

ねらい:家柄ではなく、個人の能力や功績で役人の位を決めること

違い:それまでは 氏姓(家柄)で位が決まっていたが、冠位十二階以降は天皇が能力に応じて位を授ける形に変わった。

問題3(十七条憲法)
十七条憲法の第1条の有名な言葉を書きなさい。意味は?
答えを見る

「和をもって貴しとなす」

意味:みんなと仲よくすることを最も大切にせよ

問題4(遣隋使)
607年に隋に派遣された日本の使者は誰か。彼の持参した国書で隋の煬帝はなぜ怒ったか。
答えを見る

使者:小野妹子

怒った理由:国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書かれ、隋の皇帝と日本の天皇を 対等に並べていたから。

まとめ

  • 飛鳥時代は 6世紀末〜710年。都は飛鳥(奈良盆地南部)。
  • 聖徳太子(厩戸王)推古天皇の摂政として、天皇中心の国づくりを進めた。
  • 3つの改革:冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)・遣隋使(607年)
  • 遣隋使 小野妹子を派遣し、中国の制度・文化を学んだ。日本を対等な国と位置づけようとした。
  • 仏教を保護し、法隆寺を建立 ── 飛鳥文化の中心。