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歴史は、背景、できごと、社会の変化、後の時代への影響を順に並べると因果関係が見えます。
飛鳥時代の年代
- 6世紀末〜710年(飛鳥に都が置かれていた時代)
- 都の場所:飛鳥(あすか、奈良盆地南部)
- 代表的人物:聖徳太子(厩戸王)・推古天皇・蘇我馬子
大化の改新前の政治状況
6世紀の日本は、有力豪族の 蘇我氏(そがし)と 物部氏(もののべし)が激しく対立していました。仏教受容をめぐる争いで蘇我氏が勝ち、6世紀末には蘇我氏が政治を牛耳るようになります。
聖徳太子の登場
- 摂政(せっしょう):天皇の代わりに政治を行う役職。天皇が幼いか、女性で外交が難しい場合に置かれた。
- 推古天皇は日本初の 女帝。
① 冠位十二階(603年)
①従来は 家柄(氏姓)で位が決まっていた。
②これに対し、冠位十二階は 個人の能力や功績で位を上げ下げできる仕組み。
③結果:豪族の世襲ではなく、天皇の任命する官僚として役人を組織化。
② 十七条憲法(604年)
第1条「和をもって貴しとなす」── みんなと仲よくすることを大事にせよ。
第2条「篤く三宝を敬え」── 仏(仏教の三宝)を篤く敬え。
第3条「詔を承りては必ず謹め」── 天皇の命令には必ず従え。
- 近代的な憲法(国家の最高法)ではなく、役人の道徳規範。
- ただし、政治の根本方針を示した最古の文書として「憲法」と呼ばれてきた。
③ 遣隋使(けんずいし)── 中国に学ぶ
- 遣隋使:聖徳太子が、隋(ずい)(中国を統一した王朝)に派遣した使節団。
- 目的:中国の進んだ政治制度・文化・仏教を学ぶ。
- 第1回(600年):詳しい記録は中国側に。
- 第2回(607年):小野妹子(おののいもこ)を派遣。
- 意義:日本を中国と対等な国として位置づけようとした。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
→ 「日の昇る国の天子(聖徳太子)が、日の沈む国の天子(隋の煬帝)に手紙を出します」
隋の煬帝(ようだい)は「無礼だ」と怒ったと伝わるが、隋は使者を返した。日本を 対等な国として扱ったことになる。
飛鳥文化 ── 日本初の仏教文化
- 聖徳太子の保護で 仏教が広まり、寺院や仏像が作られた。
- 法隆寺(ほうりゅうじ):聖徳太子建立。現存する世界最古の木造建築。世界遺産。
- 四天王寺(してんのうじ):大阪。聖徳太子建立。
- 仏像:法隆寺の 釈迦三尊像・百済観音・弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺)など。
- 中国・朝鮮の影響を受けつつ、日本独自の仏教文化が芽生え始めた。
聖徳太子の死とその後
聖徳太子は 622年に49歳で亡くなりました。彼の死後、政治の実権は蘇我氏が握りますが、これが 大化の改新(645年)で打破されることになります(次の単元)。
練習問題
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本名:厩戸王(うまやどのおう)
誰の摂政:推古天皇(日本初の女帝)
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ねらい:家柄ではなく、個人の能力や功績で役人の位を決めること。
違い:それまでは 氏姓(家柄)で位が決まっていたが、冠位十二階以降は天皇が能力に応じて位を授ける形に変わった。
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「和をもって貴しとなす」
意味:みんなと仲よくすることを最も大切にせよ。
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使者:小野妹子
怒った理由:国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書かれ、隋の皇帝と日本の天皇を 対等に並べていたから。
まとめ
- 飛鳥時代は 6世紀末〜710年。都は飛鳥(奈良盆地南部)。
- 聖徳太子(厩戸王)が 推古天皇の摂政として、天皇中心の国づくりを進めた。
- 3つの改革:冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)・遣隋使(607年)。
- 遣隋使 小野妹子を派遣し、中国の制度・文化を学んだ。日本を対等な国と位置づけようとした。
- 仏教を保護し、法隆寺を建立 ── 飛鳥文化の中心。