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藤原氏の力の源は武力ではなく、天皇家との婚姻でした。④まで進んでも終わりではなく、次の天皇にまた娘を送りこんでサイクルを回し続けたことが、9世紀半ばから11世紀後半まで摂関政治が続いた理由です。
平安京への遷都(794年)
- 桓武天皇が、奈良時代末期の僧侶政治の乱れから立ち直るため、新しい都を作った。
- 長岡京(784年)に一度遷都したが、暗殺事件などが起き、平安京に再遷都。
- 場所:現在の 京都市。
- 「鳴くよ(794)うぐいす平安京」と覚えると年代が出る。
桓武天皇の改革
- 蝦夷(えみし)討伐:東北地方の蝦夷を平定するため、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を 征夷大将軍に任命(797年)。蝦夷側は指導者アテルイ(阿弖流為)を中心に抵抗したが、802年に降伏した。
- 律令制の建て直し:班田収授を6年から12年ごとに緩和、雑徭を30日に短縮。
- 仏教改革:奈良の旧仏教(南都六宗)の力を弱めるため、最澄(さいちょう、天台宗)と 空海(くうかい、真言宗)を保護。
遣唐使の停止(894年)
遣唐使は630年から続いていたが、唐の衰退と航海の危険を理由に、菅原道真(すがわらのみちざね)の建議で894年に停止。
これを境に、中国の真似ではなく、日本独自の文化=国風文化が発展していく。
藤原氏の摂関政治
①娘を 天皇の妃(きさき)として送り込む。
②その娘が産んだ子(外孫)を天皇に立てる。
③幼い天皇の代わりに 摂政として政治を行う。
④天皇が成人すると 関白として補佐する形で実権を保つ。
藤原道長 ── 最盛期
- 藤原道長(ふじわらのみちなが)(966〜1027年):摂関政治の最盛期。
- 4人の娘を天皇・皇太子に嫁がせ、3代の天皇の外祖父に。
- 有名な歌:「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(自分の権力は満月のように完全だ)。
- 息子の 藤原頼通(よりみち)が、平等院鳳凰堂(宇治)を建立。
国風文化(こくふうぶんか)
かな文字の発明
- ひらがな:漢字の 草書(くずし字)から生まれた。「あ←安」「い←以」など。
- カタカナ:漢字の 一部を取って作られた。「ア←阿」「イ←伊」など。
- かな文字の登場で、日本語の感覚をそのまま書けるようになった。
- 特に女性が ひらがなで日記や物語を書くようになり、文学が花開く。
- 10世紀初め、紀貫之(きのつらゆき)らが天皇の命令によって 『古今和歌集』を編さん。最初の 勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう、天皇の命でまとめられた和歌集)で、かな文字の広がりとともに、その後の仮名文学の手本となった。
代表的文学作品
| 作品 | 作者 | 特徴 |
|---|---|---|
| 『古今和歌集』 | 紀貫之ら(10世紀) | 最初の勅撰和歌集 |
| 『竹取物語』 | 不明 | 日本最古の物語 |
| 『土佐日記』 | 紀貫之 | ひらがなで書かれた日記 |
| 『枕草子』 | 清少納言 | 随筆「春はあけぼの」 |
| 『源氏物語』 | 紫式部 | 長編小説の傑作 |
紫式部が中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えながら執筆。
全54帖。光源氏という主人公の恋愛と人生を描く。
世界最古の長編小説の1つとして評価される。20以上の言語に翻訳。
浄土信仰 ── 来世への願い
- 11世紀になると、末法思想(仏の教えが衰える終末思想)が広まる。
- 「現世はもうダメだ」「極楽浄土に生まれ変わりたい」と願う 浄土信仰が流行。
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)を信仰し、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。
- 象徴的建築:平等院鳳凰堂(宇治・藤原頼通建立、1053年)── 極楽浄土をこの世に再現しようとした。
貴族の生活
- 住居:寝殿造(しんでんづくり)。広い庭園と渡り廊下で結ばれた建物。
- 服装:男性は 束帯(そくたい)、女性は 十二単(じゅうにひとえ)。
- 遊び:和歌・蹴鞠(けまり)・絵巻物。
この章でつまずきやすいところ
平安時代の本文を読むと、摂政と関白、ひらがなとカタカナ、藤原道長と頼通など、似ているのに役割が違う言葉や人物が次々に出てきます。途中で迷いやすい場面を、整理のコツとあわせて確認しましょう。
摂政と関白を同じものと思い込んでしまう
- つまずく場面:本文で「藤原氏は摂政・関白として政治の実権を握った」と読むと、二つを一つの役職だと感じて、どちらが何を補佐するのか分からなくなる場面です。
- 克服のコツ:天皇の年齢で見分けるのがコツです。摂政は幼い天皇や女性天皇の代わりに政治を行う役、関白は成人した天皇を補佐する役、と整理します。藤原氏は娘の産んだ子が幼いうちは摂政、成人すると関白、と切りかえて権力を保ち続けた流れで覚えます。
- ミニ例:藤原道長は幼い天皇のときは摂政として、成人後は補佐役として政治を動かし、子の頼通も摂政・関白を歴任した、と教科書では整理されます。
ひらがなとカタカナの成り立ちを混同してしまう
- つまずく場面:「かな文字の発達で女性文学が花開いた」と本文を読みながら、ひらがなとカタカナのどちらが漢字の崩しでどちらが一部を取ったものか、途中で分からなくなる場面です。
- 克服のコツ:漢字との関係で見分けます。ひらがなは漢字の草書(くずし字)全体から生まれた丸い字、カタカナは漢字の一部分を取り出した角ばった字、と整理します。「全体を崩す」か「部分を切り取る」かの違いで思い出すと混乱しません。
- ミニ例:「あ」は「安」をくずしたひらがな、「ア」は「阿」の左側だけを取ったカタカナ、と教科書では整理されます。
『源氏物語』と『枕草子』の作者を取り違えてしまう
- つまずく場面:問題で「『源氏物語』の作者を答えよ」と出てきたとき、紫式部と清少納言のどちらだったか、本文を行き来しながら迷う場面です。
- 克服のコツ:作品のジャンルで見分けます。長編の物語=『源氏物語』=紫式部、随筆(エッセイ)=『枕草子』=清少納言と、作品の形と作者名をペアで覚えます。「物語の紫」「草子の清」とリズムで結ぶと、問題を解く途中で迷いません。
- ミニ例:紫式部は中宮彰子に仕えて『源氏物語』を書き、清少納言は『枕草子』で「春はあけぼの」と書き出した、と教科書では整理されます。
国風文化を「中国を完全に捨てた文化」と思い込んでしまう
- つまずく場面:本文の「遣唐使停止後、日本独自の文化が発展した」を読むと、中国の影響をすべて切り捨てた文化のように感じて、天平文化との違いの説明で迷う場面です。
- 克服のコツ:因果関係で整理します。894年に菅原道真の建議で遣唐使が停止された結果、新しい中国文化が入りにくくなり、それまで吸収してきた唐風文化を土台に日本の風土に合わせて作り変えたのが国風文化、と整理します。「ゼロから作った」ではなく「唐風を日本化した」と読みかえるのがコツです。
- ミニ例:かな文字は漢字をもとに生まれ、寝殿造や大和絵も唐風建築・絵画を踏まえて日本化したものとして、教科書では整理されます。
練習問題
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年:794年(「鳴くよウグイス平安京」)
天皇:桓武天皇
場所:現在の京都市
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定義:藤原氏が摂政・関白として天皇に代わって政治を行う体制。
方法:娘を天皇の妃に送り込み、生まれた子(外孫)を天皇にして、その摂政・関白になる。
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「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
意味:この世は自分のためにあるようだ。満月のように欠けたところがないと。摂関政治の最盛期、道長の絶大な権力を表す。
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『源氏物語』:紫式部
『枕草子』:清少納言
両方とも、平安時代中期の宮中に仕えた女性が書いた。
まとめ
- 794年、桓武天皇が平安京(京都)に遷都。約400年続く平安時代の始まり。
- 894年に 菅原道真の建議で遣唐使停止 → 日本独自の 国風文化へ。
- 藤原氏の摂関政治:娘を天皇に嫁がせて摂政・関白になる。藤原道長が最盛期。
- かな文字の発明で女性文学が花開く ── 紫式部『源氏物語』、清少納言『枕草子』。
- 末法思想で 浄土信仰が広まり、平等院鳳凰堂が建立される。
- 貴族の住まいは 寝殿造、女性は 十二単。
もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)
※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。
紫式部が大河ドラマの主人公になった時事
NHKは2024年、『源氏物語』を書いた紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』を放送しました。藤原道長との関わりを軸に、摂関政治がさかえた平安時代中期の貴族の暮らしが描かれました。西暦3けたの平安時代を舞台にした大河ドラマは約半世紀ぶりのことでした。
10円玉に描かれているのは平安時代の平等院鳳凰堂発展
ふだん使っている10円硬貨の表には、藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂が細かくえがかれています。鳳凰堂の屋根にある鳳凰の像は、1万円札のデザインにも使われています。教科書で学ぶ浄土信仰の建物が、今のお金の中に生きているのです。
平等院鳳凰堂は世界遺産になっている発展
藤原頼通が1053年に建てた阿弥陀堂(鳳凰堂)は国宝で、極楽浄土をこの世に再現しようとした平安後期の建築です。1994年には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界文化遺産に登録されました。末法思想と浄土信仰が形になった建物として、世界からも高く評価されています。
最澄が開いた比叡山延暦寺も世界遺産発展
桓武天皇に保護された最澄は、奈良の旧仏教から離れて比叡山に延暦寺を開き、天台宗を広めました。延暦寺は1994年に「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されています。のちに法然や親鸞など多くの僧がここで学んだため「日本仏教の母山」とも呼ばれます。
『源氏物語』は世界最古級の長編小説発展
紫式部が書いた『源氏物語』は、平安時代に成立してから1000年以上も読み継がれてきました。英語やイタリア語など多くの外国語に翻訳され、現代語訳やマンガにもなって、今も世界中で親しまれています。かな文字の発達が、こうした日本独自の文学を生み出しました。
