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歴史は、背景、できごと、社会の変化、後の時代への影響を順に並べると因果関係が見えます。
武士の誕生
- 10世紀ごろ、地方の有力者・荘園領主が、自分の土地と農民を守るために 武装を始めた。
- これが 武士の起源。最初は地方の小領主だった。
- 都の貴族からは見下されていたが、軍事的な力を持つ存在として徐々に重要視される。
武士の集団化 ── 武士団
個々の武士は弱い。だから一族・主従関係で結びつき、武士団を作りました。代表的な武士団が 源氏と 平氏です。
- 源氏(みなもとし):清和天皇の子孫。本拠地は 東国(関東)。
- 平氏(へいし/たいらし):桓武天皇の子孫。本拠地は 西国(瀬戸内)。
- 両者は 皇族から武士になった一族。だから家格が高く、他の武士をまとめる立場に立てた。
武士の初期の活躍
- 承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱(10世紀):平将門の乱(関東)と 藤原純友の乱(瀬戸内)。中央への反乱だが、これを 鎮圧したのも武士だった。
- 前九年合戦(11世紀):東北で源頼義・義家が安倍氏を倒す。
- 後三年合戦:源義家が清原氏を破る。これで 源氏が東国に強い基盤を持つように。
院政(いんせい) ── 上皇が政治を握る
用語
院政
天皇を辞めた 上皇(じょうこう)または 法皇(ほうおう、出家した上皇)が、御所「院」で政治を行う体制。藤原氏(摂関)に対抗するために始められた。
- 1086年、白河天皇が天皇位を退いて上皇となり、院政を開始。
- 続いて 鳥羽上皇・後白河上皇と院政が続く(約100年)。
- 上皇は自分の側近として 武士を取り立て、貴族とは違う勢力を作った。
- この過程で 平氏が中央政界に進出していく。
保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)
2つの内戦
保元の乱(1156)後白河天皇 vs 崇徳上皇 の対立。武士の 平清盛・源義朝が後白河側につき、勝利。武士の力が中央政界で決定的に重要だと示された。
平治の乱(1159)勝った側の内部分裂。平清盛が源義朝を倒す。源氏は衰え、平氏が独走へ。
平清盛 ── 武士初の太政大臣
人物
平清盛(たいらのきよもり、1118〜1181年)
平氏の棟梁。武士として初めて 太政大臣(最高位)に就任(1167年)。武士による政治を始めた。
- 1167年:太政大臣に。武士で太政大臣になった最初の人物。
- 娘の 徳子を高倉天皇に嫁がせ、安徳天皇を産ませる。藤原氏と同じ手法で外戚に。
- 「平氏でなければ人ではない」と言われるほどの権力を握る。
日宋貿易 ── 中国との交易
- 平清盛は 瀬戸内海航路を整備し、大輪田泊(おおわだのとまり、現在の神戸港)を拡張。
- 宋(中国)と貿易して莫大な富を得る。輸入品は 宋銭・絹・書物・陶磁器。
- 宋銭は日本に流通し、後の経済発展の基礎に。
源平の対立と平氏の滅亡
源平合戦(治承・寿永の乱、1180〜1185年)
1180後白河法皇の皇子 以仁王(もちひとおう)が平氏討伐を呼びかける。各地の源氏が決起。
1180源頼朝(東国)と 木曽義仲(信濃)が挙兵。
1183木曽義仲が平氏を都から追い出す。平氏は西国へ退却。
1185頼朝の弟 源義経が 壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させる。安徳天皇が海に身を投げる。
武家政権の始まり
平氏滅亡後、源頼朝が 守護・地頭を全国に置き、武家政権の基礎を築きます。1192年に征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開きます(次の単元)。
練習問題
問題1(武士団)
2大武士団の名前と、それぞれの本拠地を答えなさい。
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源氏(東国・関東)と 平氏(西国・瀬戸内)。両方とも皇族から武士になった一族。
問題2(院政)
院政とは何か。誰がいつ始めたか。
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天皇を退位した上皇が、御所「院」で政治を行う体制。1086年に 白河上皇が始めた。
問題3(平清盛)
平清盛が1167年に就いた役職は何か。彼の貿易の相手国と港の名前は?
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役職:太政大臣(武士で最初)
貿易相手:宋(中国) 港:大輪田泊(現在の神戸港)
問題4(壇ノ浦)
1185年に平氏が滅亡した戦いの名前と、平氏を破った人物を答えなさい。
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戦い:壇ノ浦の戦い(山口県)
勝利者:源義経(源頼朝の弟)
まとめ
- 10世紀ごろから、地方の有力者が 武士として武装し始めた。代表が 源氏(東国)と 平氏(西国)。
- 1086年、白河上皇の 院政開始。上皇は武士を側近に取り立て、平氏が中央政界へ。
- 保元の乱・平治の乱を経て 平清盛が台頭。1167年に太政大臣に。
- 清盛は 日宋貿易で富を蓄える。大輪田泊(神戸)を整備。
- 1185年、壇ノ浦の戦いで源義経が平氏を滅ぼす。
