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1336年からの56年間、京都の北朝と吉野の南朝という2つの朝廷が並立していたこと、3代義満の合一から75年後の応仁の乱で幕府の権威が崩れたことを、年表の分岐と合流で確認してください。
鎌倉幕府の滅亡(1333年)
- 後醍醐天皇が幕府打倒を計画。1331年に挙兵するが失敗、隠岐に流される。
- 翌年、隠岐を脱出して再度挙兵。楠木正成(くすのきまさしげ)や 新田義貞(にったよしさだ)が呼応。
- 足利尊氏(幕府の御家人)が 裏切って後醍醐側に。京都の 六波羅探題を攻め落とす。
- 1333年、新田義貞が鎌倉を攻略。鎌倉幕府滅亡。
建武の新政(1334〜1336年)── 短命な天皇親政
①武士への恩賞が公家(貴族)に偏り、不公平。
②朝令暮改(政策がころころ変わる)。
③武士は 武家政権の復活を望んでいた。
結果足利尊氏が反旗を翻し、後醍醐は吉野へ逃げる。
南北朝の動乱(1336〜1392年)
- 北朝:足利尊氏が立てた天皇(光明天皇)。京都を本拠。
- 南朝:後醍醐天皇。吉野(奈良県南部)を本拠。
- 2つの朝廷が並立し、各地で武士が両陣営に分かれて戦う。
- 1392年、3代将軍 足利義満のもと、南朝が北朝に吸収される形で合一。
室町幕府の成立
- 1336年:足利尊氏が 建武式目を制定し、幕府の方針を示す。
- 1338年:尊氏が 征夷大将軍に任命される。室町幕府の始まり。
- 京都・室町に幕府の御所を置いたので「室町幕府」と呼ばれる。
- 朝廷の中心地で幕府を開いたのが、鎌倉幕府との大きな違い。
幕府のしくみ
- 将軍:足利氏が世襲。
- 管領(かんれい):将軍の補佐役。細川・斯波・畠山の3氏が交代で務める(三管領)。
- 侍所・政所・問注所:鎌倉幕府を踏襲。
- 守護の権限が拡大し、地方の 守護大名として成長。
足利義満 ── 室町幕府の絶頂
- 1392年:南北朝合一。
- 1397年:京都北山に 金閣(金箔を貼った3層の楼閣)を建立。
- 1404年:明と 勘合貿易(日明貿易)を開始。
- 義満は 太政大臣にもなった。武家・公家の頂点に立った。
勘合貿易 ── 倭寇対策の合言葉
背景明(中国)は、海賊「倭寇(わこう)」に困っていた。日本人と朝鮮人が大陸沿岸を襲っていた。
勘合正規の貿易船には 「勘合(かんごう)」と呼ばれる証票を持たせる。これがある船だけ取引可。
輸入明銭(銅銭)・絹・陶磁器・書籍
輸出銅・硫黄・刀剣・扇
明との勘合貿易と並行して、朝鮮(李成桂が建国した 朝鮮国)との 日朝貿易も行われた。対馬の 宗氏(そうし)が仲介し、日本からは硫黄・銅などを輸出、朝鮮からは 木綿(もめん)を中心に大蔵経(仏教経典)などを輸入した。木綿は衣類の材料として日本での普及を大きく後押しした。朝鮮側は倭寇の被害に悩んでいたため、貿易港を限定するなど 貿易を統制して対応した。
同じころ、日本列島の南と北でも独自の交易圏が発展していた。南の 琉球王国(1429年、尚氏が沖縄を統一して建国)は、日本・中国・朝鮮・東南アジアを結ぶ 中継貿易で栄えた。北の蝦夷地(北海道)では、津軽の 十三湊(とさみなと)を拠点とする安藤氏を介して和人とアイヌの人々の交易が行われていたが、不利な交易への不満から、1457年に コシャマインの戦い(アイヌの蜂起)が起こった。
応仁の乱(1467〜1477年)── 戦国時代の入口
- 8代将軍 足利義政の後継争いから始まる。
- 細川勝元(東軍)と 山名宗全(西軍)に守護大名が分かれて戦闘。
- 戦場は 京都。11年続き、京都は焼け野原に。
- 幕府の権威は完全に失墜し、各地の守護大名・地侍が 下克上を始める 戦国時代へ。
室町文化 ── 2つの華
| 文化 | 時期・場所 | 代表 |
|---|---|---|
| 北山文化 | 義満(14世紀末)/京都北山 | 金閣・能楽(観阿弥・世阿弥)・狂言(能の合間に演じられた喜劇) |
| 東山文化 | 義政(15世紀後半)/京都東山 | 銀閣・書院造・茶の湯・水墨画(雪舟) |
金閣3層構造・金箔貼り。豪華・国際的・北山文化。
銀閣2層構造・素朴。わび・さび・東山文化。
銀閣には実は銀箔は貼られていなかった。「銀閣」は通称。
東山文化では、水や植物を使わずに石と砂だけで自然の風景を表す庭園 枯山水(かれさんすい)も生まれた。龍安寺(りょうあんじ)の石庭が代表例。花を生けて鑑賞する 生け花(華道)もこの時期に作法として確立し、書院造の座敷を飾る芸能として広まった。
庶民の間では、絵入りの短編物語「御伽草子(おとぎぞうし)」も親しまれた。「浦島太郎」「一寸法師」など、今も読み継がれる昔話の多くはこの時代に成立したものである。
民衆の動き ── 一揆と惣村
- 惣村(そうそん):村人が 自治で運営する村。寄合(集会)で議決。
- 土一揆(つちいっき):農民・馬借(運送業)が結束し、徳政令などを要求。正長の土一揆(1428年)が代表例。
- 土倉・酒屋(どそう・さかや):高利貸しを営んだ金融業者。幕府の重要な税源だったが、土一揆にたびたび襲われた。
- 座(ざ):商工業者が結成した 同業者組合。公家や寺社に税(座銭)を納める代わりに、営業の独占権を認めてもらった。
- 国一揆・一向一揆:地侍や浄土真宗の信徒による武装一揆。山城国一揆(1485年)では山城国(京都府南部)の国人らが守護畠山氏の軍を退去させ、約8年間自治を行った。一向一揆は 加賀(石川県)で守護を倒し、約100年間自治を行った。
この章でつまずきやすいところ
「室町幕府と南北朝」を学ぶとき、中学生が 本文を読んでいる途中・問題を解く途中 で止まりやすい場面を 4つ取り上げます。誤答辞典が「答えを間違えた後」の見直しに対し、こちらは 理解の過程で迷う瞬間 を扱います。
1. 「室町」を関東の地名と思い込んでしまう
- つまずく場面:「鎌倉幕府=鎌倉(関東)」と覚えていると、流れで「室町幕府=関東のどこか」と勘違いし、地図で「室町」を探してしまう。
- 克服のコツ:「室町」は 京都市内の通りの名前。京都市の今出川通と室町通の周辺に、将軍の御所「花の御所」があった、と位置で覚える。教科書では「京都の室町に幕府を置いたので室町幕府」と整理される。
- ミニ例:京都市の中心部に「室町通り」が今も残る現代の地名としてある。鎌倉の「鎌倉」も京都の「室町」も、どちらも 幕府が置かれた場所の地名がそのまま名称になった 点で共通する。
2. 足利尊氏が「誰から誰へ寝返ったか」がこんがらがる
- つまずく場面:尊氏は 鎌倉幕府の御家人 → 後醍醐天皇側に味方 → 後醍醐から離れて新しい幕府 と、立場を 2回変えている。「結局、尊氏は味方なの?敵なの?」と混乱しがち。
- 克服のコツ:時系列で「1回目の方向転換(1333年)=鎌倉幕府を倒す側へ、2回目の方向転換(1336年)=建武の新政を見限って自分の幕府を作る」と 2段階に分けて 整理する。教科書では「武士の不満を背負って建武の新政から離れた」と説明される。
- ミニ例:1回目:京都の 六波羅探題(鎌倉幕府の出先機関)を攻め落とす側に回った。 / 2回目:武士への 恩賞(おんしょう=報酬) が公家に偏ったことで武士の不満が高まり、尊氏がそれを背景に建武の新政から離れた。
3. 南北朝の「南北」を日本列島の南北だと思ってしまう
- つまずく場面:「南北朝」と聞くと「北海道〜九州」みたいな広い南北を想像し、「北日本に1つ、南日本に1つの政権?」と誤解する。
- 克服のコツ:南北朝は 京都の北朝 と 吉野(奈良県南部)の南朝。両者は 近畿地方の中での南北 で、直線距離でおよそ60〜70km程度。「北日本/南日本」のスケールではなく、関西エリア内の話、と覚える。
- ミニ例:北朝:足利尊氏が立てた光明天皇(京都)。 / 南朝:後醍醐天皇(吉野へ逃れた)。1392年に 3代将軍 足利義満のもとで 南朝の天皇が北朝の天皇に譲位し、朝廷が一つにまとまった(結果として北朝側の系統に一本化された)。
4. 「銀閣=銀ピカ」と思い込んでしまう
- つまずく場面:「金閣」が金箔貼りの豪華建築なので、「銀閣」も対称的に銀箔貼りで光っていると想像してしまう。画像を見て「思っていたのと違う」とギャップで混乱する。
- 克服のコツ:銀閣には 銀箔は貼られていない。「銀閣」は後世の通称で、実物は 素朴な2層の木造建築。これは 東山文化のわび・さび(質素で深みを尊ぶ美意識)を象徴している、と 文化の違い で覚える。
- ミニ例:金閣(北山文化/3層/金箔/豪華で国際的) vs 銀閣(東山文化/2層/銀箔なし/わび・さび)。教科書では「北山文化=義満の時代、東山文化=義政の時代」と 文化の名前と将軍をセット で整理する。
練習問題
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天皇:後醍醐天皇
理由:武士への恩賞が不公平で、武士が反発した(または公家中心の政治で武家が不満)。
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① 南北朝合一(1392年)
② 勘合貿易(日明貿易)の開始(1404年)
③ 金閣の建立(1397年・北山文化)
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正規の貿易船であることを証明する証票。海賊「倭寇」と区別して、正規の交易を行うために必要だった。
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時期:1467〜1477年(11年間)
場所:京都
きっかけ:8代将軍足利義政の後継争い。細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が対立。
まとめ
- 1333年、後醍醐天皇と足利尊氏・新田義貞らで 鎌倉幕府を滅亡させる。
- 後醍醐の 建武の新政は2年で破綻。1336年、足利尊氏が室町幕府を開く。
- 1336〜1392年、南北朝の動乱。3代義満で合一。
- 義満:金閣建立・勘合貿易・南北朝合一で室町幕府最盛期。
- 文化:北山文化(金閣・能・狂言)と 東山文化(銀閣・茶・書院造)。
- 1467年からの 応仁の乱で幕府の権威は失墜し、戦国時代へ。
もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)
※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。
金閣は今も世界遺産発展
足利義満が建てた金閣(鹿苑寺)は、1994年にユネスコの世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つに登録されました。第1層を貴族風、上層を武家・禅宗風につくった建物は、北山文化が公家・武家・仏教の文化を融合させたことをよく示しています。
能楽は世界の無形文化遺産時事
観阿弥・世阿弥が義満らの保護を受けて大成した能楽は、2008年にユネスコの無形文化遺産(人類の無形文化遺産代表一覧表)に記載されました。室町時代に整えられた舞台芸術が、600年以上を経た今も上演され、世界的に価値あるものと認められています。
出典:文化庁(無形文化遺産)
銀閣の一室が和室のはじまり発展
足利義政が東山に建てた銀閣(慈照寺)にある東求堂の「同仁斎」は、畳を敷き付け書院(つくえ)や棚を備えた書院造の初期の例です。この様式が、たたみ・床の間・障子といった現代の和室の原型になりました。
和食のルーツは室町の食文化時事
日本の伝統的な食文化「和食」は、2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。和食の基本とされる「一汁三菜」やだし(うま味)を生かす考え方は、室町時代に確立した武家の本膳料理などに源があり、その後の日本の食事のかたちにつながっています。
雪舟の水墨画は今も国宝発展
東山文化を代表する画家・雪舟が描いた水墨画「秋冬山水図」は、現在は東京国立博物館が所蔵する国宝です。雪舟は明(中国)に渡って学び、力強い筆づかいと奥行きのある構図で、その後の日本の山水画に大きな影響を残しました。
