国境の画定 ── 北海道・沖縄と近隣外交 を解く・整理する5ステップ
各ステップをクリックすると詳しい説明と例が開きます。
ステップ 1:「対外条約」と「国内編入」の2つの作業を区別する
この単元は、清・朝鮮・ロシアとの条約で国境線を引く「対外条約」の作業と、北海道・沖縄を日本の中に組み入れる「国内編入」の作業が同時に進む。まず表を頭の中で左右2列に分けて、清・朝鮮・ロシアは左(対外)、北海道・沖縄は右(国内)と仕分ける。
ステップ 2:清・朝鮮との条約を対等/不平等で区別する
日清修好条規(1871)は日本が欧米以外の国と結んだ最初の対等条約。日朝修好条規(1876)は江華島事件(1875)を口実に、朝鮮に日本の領事裁判権を認めさせた不平等条約。「清=対等、朝鮮=不平等」と結んだ順に対で覚える。
ステップ 3:樺太・千島交換条約を「譲って得た」の一続きで覚える
1875年の樺太・千島交換条約は、樺太をロシア領とし、その代わりに千島列島の全てを日本領とした条約。「樺太をあきらめて千島を得た」という一続きの動きで覚えると、どちらが日本領かで迷わない。
ステップ 4:北海道の開拓の流れを年代順に整理する
1869年に開拓使を設置し屯田兵・札幌農学校(クラーク)で開発を進めた。1899年に北海道旧土人保護法が制定され、アイヌの人々への同化政策が制度化された。2019年にアイヌ施策推進法で「先住民族」と法律に明記された。開拓(1869)→同化政策の制度化(1899)→現在の見直し(2019)の3段階、30年・120年という時間の差を意識する。
ステップ 5:沖縄の琉球処分の流れを年代順に整理する
琉球王国は日本(薩摩藩)と清の両方に属する「両属」だった。1872年に琉球藩を設置してこれを日本の一部として位置づけ、1879年に琉球処分で沖縄県を設置。国王・尚泰は東京へ移された。清はこれに抗議したが、帰属をめぐる対立は1894〜95年の日清戦争の結果で最終的に決着した。「両属→琉球藩(1872)→琉球処分(1879)→日清戦争で決着」の4段階で整理する。
これだけは覚える
「対外条約(清=対等・朝鮮=不平等・ロシア=樺太を譲って千島を得る)」と「国内編入(北海道=開拓・沖縄=処分)」の2列で整理。琉球処分は両属→琉球藩(1872)→処分(1879)の2段階セットで覚える。
よくあるつまずき
樺太・千島交換条約のどちらが日本領か逆にする、日朝修好条規も対等だと誤解する、琉球処分と廃藩置県を同じ出来事だと思い込むの3つが頻出ミス。年号と対象国をセットで確認しましょう。
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出典・最終更新
- 出典基盤:教科書(社会)の核となる手順と概念データに基づく整理。
- 編集方針:教科書頻出の解き方・コツを、段階的なステップに分け、つまずきポイントと核となるルールを併記しています。
- 最終更新:2026-08-14
