この章で間違えやすい 3 パターン
誤答パターン 1
- ❌ よくある誤答:岩倉使節団が欧米に条約改正の交渉に行った結果、改正に成功したと答えてしまう
- 💡 ここがちがう:使節団を派遣した1871年当時、日本の法律や政治のしくみはまだ欧米に近代国家として認められる水準に整っていないと判断され、条約改正の交渉はその場では受け入れられなかった。
- ✅ 正しい理解:岩倉使節団の条約改正交渉は失敗し、実際の条約改正はのちの時代に持ち越された。
誤答パターン 2
- ❌ よくある誤答:岩倉使節団が欧米へ出発している間、日本に残って政治を担当していた留守政府の中心人物を、使節団の一員でもある大久保利通と答えてしまう
- 💡 ここがちがう:大久保利通は岩倉使節団の一員として欧米に同行しており、帰国後は征韓論に反対する側に立った人物である。留守政府を任されて日本に残っていたのは、西郷隆盛らのグループである。
- ✅ 正しい理解:岩倉使節団の外遊中、日本に残って留守政府を担ったのは西郷隆盛らのメンバーである。
誤答パターン 3
- ❌ よくある誤答:1877年に起きた士族による最大の反乱を、江藤新平が中心となった佐賀の乱と答えてしまう
- 💡 ここがちがう:佐賀の乱は1874年に江藤新平を中心に起きた反乱であり、時期も規模もちがう別の出来事である。1877年に起きた士族反乱の中で最大のものは、西郷隆盛を中心とする鹿児島の士族が起こした反乱である。
- ✅ 正しい理解:1877年に起きた最大の士族反乱は、西郷隆盛が中心となった西南戦争である。
なぜ間違えやすいのか
用語を単独で暗記し、背景・できごと・変化・影響の因果関係で整理できていない。
自分でチェック ── 診断問い
この章の核を1問で確認
Q. 岩倉使節団と征韓論は、何が背景で、何が結果・影響にあたる?
やってみよう:岩倉使節団と征韓論について、背景・できごと・結果をそれぞれ一文で説明しよう。
つまずいたらここに戻ろう
この章で詰まったら、次の前提知識に戻ると整理しやすくなります。
- 前の時代の政治
- 年表と時代区分
- 外交関係
- 明治政府の発足
もっとくわしく
出典・最終更新
- 出典基盤:教科書準拠の誤答診断データ(中2社会)
- 編集方針:教科書の核となる事実を起こりやすい誤答から逆引きで整理し、戻り先と診断問いをセットで提示しています。
- 最終更新:2026-06-26
