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3つの分野それぞれに、西洋の学問・技法を吸収した人物と、日本独自の表現を追求した人物が並んでいます。人物名を単独で覚えるより、「この人は西洋側、この人は伝統側」という位置づけをセットで覚えるほうが混同しにくくなります。
教育の普及 ── 就学率ほぼ100%へ
学制(1872)から30年余りを経て、明治後期には就学率がほぼ100%に達しました(1907年ごろ約97%)。1907年には義務教育が6年に延長され、初等教育は国民のほぼ全員が受けるものになります。
高等教育も整備が進み、帝国大学を頂点に、私学も育ちました。福沢諭吉が開いた慶應義塾(慶應)、大隈重信が開いた東京専門学校(早稲田)が代表的です。女子教育では、津田梅子がアメリカ留学の経験を生かして女子英学塾(現・津田塾大学)を設立し、女性の高等教育の道を開きました。
科学 ── 世界的な業績を上げた研究者たち
北里柴三郎と野口英世は師弟関係にありますが、業績は別物です。北里=破傷風・ペスト菌、野口=黄熱病研究と、対象の病気で区別すると混同しません。ほかにも志賀潔(赤痢菌)、長岡半太郎(原子模型)、大森房吉(地震計)、鈴木梅太郎(ビタミンB1の発見)など、世界的な業績を上げた研究者が明治後期に相次いで登場しました。
文学 ── 言文一致から近代文学へ
明治の文学は、二葉亭四迷(ふたばてい しめい)が始めた言文一致(げんぶん いっち)(話し言葉に近い文体で書くこと)を土台に発展しました。
樋口一葉と与謝野晶子はどちらも明治の女性文学者ですが、樋口一葉は小説(『たけくらべ』)、与謝野晶子は短歌(『みだれ髪』)と、ジャンルが異なります。ほかに石川啄木・正岡子規が俳句・短歌の革新を進めました。小説では、夏目漱石(『坊っちゃん』『こころ』)、森鷗外(『舞姫』)が近代文学を代表する作家として活躍しました。
美術 ── 日本画と洋画の両立
美術の分野では、横山大観のような日本画の画家と、黒田清輝のような洋画の画家が、それぞれ別の道で活躍しました。「大観=日本画」「黒田=洋画」という対応を、岡倉天心(日本画を支えた指導者)とセットで覚えると整理しやすくなります。彫刻では高村光雲が代表的な作家として知られています。
音楽の広がり
音楽の分野では、滝廉太郎(たき れんたろう)が『荒城の月』『花』などの唱歌を作曲し、西洋音楽の技法を取り入れた日本の音楽を育てました。
整理のコツ ── 「西洋に学ぶ」と「伝統を見直す」の2方向
明治の文化人は数が多く、名前だけを覚えようとすると混乱します。次の2つの方向で整理すると覚えやすくなります。
- 西洋に学ぶ方向:北里柴三郎・野口英世(西洋医学)、黒田清輝(洋画)、滝廉太郎(西洋音楽の技法)
- 伝統を見直す方向:岡倉天心・横山大観(日本美術の再評価)、正岡子規(俳句・短歌という日本の伝統詩の革新)
両方の方向が同時に進んでいたのが、明治後期の文化の特徴です。
この章でつまずきやすいところ
この単元は、似た時代の似た分野の人物が一覧で並ぶため、名前と業績の組み合わせを取り違えやすいところです。読み進める途中で生まれる迷いを、具体的にほぐしていきます。
北里柴三郎と野口英世の業績を取り違える
- つまずく場面:どちらも細菌学者で師弟関係にあるため、「破傷風の血清療法」と「黄熱病の研究」がどちらの人物の業績か、テストで逆になりがちです。
- 克服のコツ:師弟の順番で覚えましょう。北里柴三郎が先生(破傷風・ペスト菌)、野口英世が弟子(黄熱病)です。「北里が先に活躍し、その研究所で学んだ野口が後を追った」という順番をセットで覚えます。
- ミニ例:本文の「北里=破傷風・ペスト菌」「野口=黄熱病研究」という対応をそのまま覚えるのが確実です。
樋口一葉と与謝野晶子の作品・ジャンルを取り違える
- つまずく場面:どちらも明治の女性文学者という共通点だけが残り、『たけくらべ』と『みだれ髪』のどちらが誰の作品か曖昧になります。
- 克服のコツ:ジャンルの違いで区別します。樋口一葉は小説家(『たけくらべ』)、与謝野晶子は歌人(『みだれ髪』という歌集)です。「一葉=物語を書く」「晶子=短歌を詠む」と、作品の種類とセットで覚えましょう。
- ミニ例:本文の「樋口一葉=小説(『たけくらべ』)、与謝野晶子=短歌(『みだれ髪』)」という対応を覚えます。
日本画と洋画の人物対応(大観↔黒田)を逆にする
- つまずく場面:横山大観と黒田清輝、どちらが日本画でどちらが洋画かを、テストの直前に逆に思い出してしまいます。
- 克服のコツ:作品名を手がかりにしましょう。黒田清輝の『湖畔』は西洋画特有の油絵の質感を思い出しやすい作品です。「黒田=洋画=『湖畔』」とセットにし、横山大観はその逆で「日本画」と覚えます。岡倉天心(日本美術の再評価を進めた指導者)と横山大観(日本画)が同じ側だという点も一緒に押さえましょう。
- ミニ例:本文の「大観=日本画」「黒田=洋画」という対応をそのまま覚えるのが一番確実です。
明治の文化人を全部「西洋を学んだ人」だと思い込む
- つまずく場面:「文明開化」のイメージが強いため、明治の文化人は全員が西洋の技法・学問を輸入した人だと思い込んでしまい、岡倉天心や横山大観のような「伝統を見直す」側の人物がうまく位置づけられません。
- 克服のコツ:本文の「整理のコツ」の段落で示した2方向を思い出しましょう。西洋医学の北里・野口、洋画の黒田だけでなく、日本美術を再評価した岡倉天心・横山大観、俳句・短歌を革新した正岡子規のような「伝統を見直す」側の人物も同じ時代に活躍していました。
- ミニ例:本文の「西洋に学ぶ方向」「伝統を見直す方向」の2つのリストを、人物を思い出すときのチェックリストとして使いましょう。
練習問題
- 北里柴三郎
- 野口英世
- 樋口一葉
- 与謝野晶子
- 岡倉天心
- 黒田清輝
- 滝廉太郎
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(1) 北里柴三郎:破傷風の血清療法を確立し、ペスト菌を発見した細菌学者。「近代日本医学の父」と呼ばれる。
(2) 野口英世:北里柴三郎の研究所で学んだ細菌学者。黄熱病の研究に取り組み、アフリカでの研究中に亡くなった。
(3) 樋口一葉:『たけくらべ』などを残した明治の女性小説家。24歳で早世した。
(4) 与謝野晶子:歌集『みだれ髪』で知られる歌人。「君死にたまふことなかれ」で日露戦争への思いを詠んだ。
(5) 岡倉天心:フェノロサとともに日本美術の価値を再評価し、東京美術学校の設立に関わった美術指導者。
(6) 黒田清輝:フランスで学んだ洋画家。『湖畔』などの作品で日本の洋画を確立した。
(7) 滝廉太郎:『荒城の月』『花』などの唱歌を作曲した作曲家。
- 樋口一葉 / 与謝野晶子 / 夏目漱石 / 森鷗外
- 『たけくらべ』 / 『みだれ髪』 / 『こころ』 / 『舞姫』
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樋口一葉=『たけくらべ』/与謝野晶子=『みだれ髪』/夏目漱石=『こころ』/森鷗外=『舞姫』
- 樋口一葉:貧しい家庭の少女を描いた小説『たけくらべ』。
- 与謝野晶子:情熱的な短歌をおさめた歌集『みだれ髪』。
- 夏目漱石:近代人の孤独を描いた小説『こころ』。
- 森鷗外:ドイツ留学の経験をもとにした小説『舞姫』。
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解答例:1872年の学制公布から30年余りが経過し、明治後期には就学率がほぼ100%に達した(1907年ごろで約97%)。1907年には義務教育の期間が6年に延長され、初等教育は国民のほぼ全員が受けるものとなった。あわせて帝国大学を頂点とする高等教育機関や、慶應義塾・早稲田(東京専門学校)のような私学、津田梅子による女子英学塾など、教育を受けられる層と分野が大きく広がった。
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解答例:北里柴三郎は破傷風の血清療法を確立し、ペスト菌を発見した細菌学者で、「近代日本医学の父」と呼ばれる。野口英世は北里柴三郎が設立した伝染病研究所で学んだ弟子であり、その後黄熱病の研究に取り組み、アフリカでの研究中に自身も感染して亡くなった。師弟関係にありながら、北里は破傷風・ペスト菌、野口は黄熱病というように、それぞれ異なる病気の研究で業績を残した。
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解答例:「西洋に学ぶ方向」の例としては、西洋医学を学んで破傷風の血清療法を確立した北里柴三郎や、フランスで洋画の技法を学んだ黒田清輝が挙げられる。「伝統を見直す方向」の例としては、日本美術の価値を再評価して東京美術学校の設立に関わった岡倉天心や、日本画を確立した横山大観、俳句・短歌という日本の伝統詩を革新した正岡子規が挙げられる。明治後期の文化は、西洋の吸収と日本の伝統の再発見という2つの方向が同時に進んだ点に特徴がある。
まとめ
- 明治後期、就学率はほぼ100%に(1907年ごろ約97%)。1907年に義務教育6年に延長。
- 私学:福沢諭吉の慶應義塾、大隈重信の東京専門学校(早稲田)。女子教育:津田梅子。
- 科学:北里柴三郎(破傷風血清療法・ペスト菌)、野口英世(黄熱病研究)、志賀潔(赤痢菌)、長岡半太郎(原子模型)、大森房吉(地震計)、鈴木梅太郎(ビタミンB1)。
- 文学:二葉亭四迷の言文一致、樋口一葉(『たけくらべ』)、与謝野晶子(『みだれ髪』)、石川啄木・正岡子規(俳句・短歌の革新)、夏目漱石(『坊っちゃん』『こころ』)、森鷗外(『舞姫』)。
- 美術:岡倉天心・フェノロサ(日本美術の再評価・東京美術学校)、横山大観(日本画)、黒田清輝(洋画『湖畔』)、高村光雲(彫刻)。
- 音楽:滝廉太郎(『荒城の月』『花』)。
- 整理のコツ:「西洋に学ぶ」(北里・野口・黒田など)と「伝統を見直す」(岡倉・大観・子規など)の2方向で人物を位置づける。
もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)
※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。
新紙幣3人のうち2人が明治の人物発展
2024年から発行された新しい日本銀行券の肖像には、1,000円札に北里柴三郎、5,000円札に津田梅子が採用されました。北里は「近代日本医学の父」、津田は「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性」で、女子教育に生涯を捧げた人物として紹介されています。
国立国会図書館の「近代日本人の肖像」に明治の文化人が集まっている発展
国立国会図書館の電子展示「近代日本人の肖像」では、政治家・学者・実業家・文学者・芸術家など1,000名以上の肖像写真を公開しています。樋口一葉や夏目漱石など、この記事に登場する人物の写真と経歴を、実際の史料で確認できます。
野口英世は2004年から2024年まで千円札の顔だった発展
黄熱病の研究に生涯を捧げた野口英世は、2004年から2024年7月まで千円札の肖像に使われていました。新紙幣の発行にともない、その役割は北里柴三郎に引き継がれています。福島県猪苗代町出身の野口の業績は、現地の記念会でも紹介されています。
現在発行されているお札は財務省のサイトで確認できる発展
2024年に一新された日本の紙幣は、財務省のサイトで一覧を確認できます。1,000円・5,000円・10,000円のいずれにも、明治から昭和にかけて活躍した人物の肖像が使われており、教科書で学ぶ歴史上の人物が、今も日常のお札という形で身近に存在していることが分かります。
