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ロシア革命とシベリア出兵 ── 社会主義国家の誕生

前の記事で見た米騒動は、実はロシアで起きていた革命と地続きの出来事でした。1917年、帝政ロシアはわずか8か月の間に二段階の革命を経て、史上初の社会主義政権を誕生させます。社会主義の広がりを恐れた列強は軍隊を送り込み、日本もシベリア出兵に最大規模で加わりました。出兵の方針が国内の米の買い占めを招き、米騒動という国内の事件の直接の引き金になった ── 国際の出来事が国内の生活に直結した、この連鎖を一段くわしく見ていきます。

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ロシア革命からシベリア出兵・米騒動への連鎖 1914〜17 大戦長期化 食料不足 兵士の不満 1917.3 三月革命 帝政が崩壊 皇帝が退位 1917.11 十一月革命 レーニン指導 社会主義政権 1918〜22 干渉戦争 シベリア出兵 日本は最大規模 出兵が国内と国際に影響 日本国内へ(前の記事) ・出兵の方針が米の買い占めを誘発 ・米価が急騰し米騒動に発展 ・全国拡大→寺内内閣総辞職 → 前の記事で見た米騒動の引き金 ロシア国内の行方 ・1922 ソビエト連邦が成立 ・レーニン死後はスターリン ・五か年計画で計画経済を推進 → 世界恐慌の影響をほぼ受けない 干渉戦争は、ロシア国内の建国と日本国内の米騒動、両方に影響した
WWIの長期化から三月革命・十一月革命、干渉戦争・シベリア出兵を経て、ロシア国内のソ連成立と日本国内の米騒動につながる連鎖

上の段は国際的な革命の連鎖、下の段はその干渉戦争(シベリア出兵)が生んだ2つの結果です。左はすでに前の記事で見た日本国内の米騒動、右はロシア国内でのソ連という新しい国家の建設。同じ出兵が、国際と国内の両方を動かしたことが読み取れます。

帝政ロシアの行き詰まり ── 日露戦争から第一次世界大戦へ

ロシアは20世紀初め、皇帝が絶対的な権力を持つ帝政の国でした。その帝政の基盤は、20世紀に入ると急速に揺らいでいきます。

用語:血の日曜日事件(ちのにちようびじけん)
1905年1月、日露戦争中のロシアで、皇帝ニコライ2世に生活改善を訴えるため首都に集まった民衆の行進に対し、軍が発砲した事件。多数の死傷者を出し、帝政への信頼を大きく揺るがした。同じ年、ロシアは日露戦争にも敗れており、内外で帝政の基盤が同時に崩れ始めた年となった。

そこに追い打ちをかけたのが第一次世界大戦の長期化です。戦争が続くにつれて都市部の食料不足が深刻化し、前線の兵士たちの間にも「なぜこんなに長く戦わされるのか」という不満が広がっていきました。帝政・戦争・生活苦の3つが重なり、1917年、ロシアは一気に揺れ動きます。

ロシア革命(1917)── 二段階の革命

三月革命 ── 帝政の崩壊

1917年3月、首都で起きた食料不足への抗議デモがストライキに発展し、軍の一部もこれに同調しました。皇帝ニコライ2世は退位を余儀なくされ、300年以上続いた帝政は崩壊します。これが三月革命です。かわって臨時政府が成立しますが、戦争は継続され、労働者・農民の不満は解消されませんでした。

十一月革命 ── レーニンとソビエト政権

用語:十一月革命(じゅういちがつかくめい)
1917年11月、レーニンの指導するボリシェヴィキ(共産党の前身)が武装蜂起し、臨時政府を倒して権力を握った革命。「十月革命」と呼ばれることもあるが、これはロシアが当時使っていた暦(ユリウス暦)と現在の暦(グレゴリオ暦)のずれによるもので、指す出来事は同じ。史上初の社会主義政権が誕生し、「平和に関する布告」を出して単独講和にもとづき第一次世界大戦から離脱した。

つまり、三月革命で帝政が終わり、十一月革命でその後を継いだ臨時政府も倒されて社会主義政権ができたという2段階の流れです。わずか8か月の間に、ロシアは帝政国家から世界で初めての社会主義政権の国へと姿を変えました(複数の共和国からなる連邦国家「ソ連」の成立は、このさらに5年後の1922年です)。

列強の干渉戦争とシベリア出兵

社会主義政権の誕生は、資本主義の国々にとって大きな脅威でした。自国にも社会主義が広がることを恐れたイギリス・フランス・アメリカ・日本などは、ロシア国内の反革命勢力を支援する形で軍隊を送り込みます。これが干渉戦争です。

用語:シベリア出兵(シベリアしゅっぺい)
1918〜22年、干渉戦争の一環として日本・アメリカ・イギリス・フランスなどがロシア領シベリアに派兵した軍事行動。当初の名目は、シベリアに取り残されていたチェコスロバキア軍の救出だった。日本は他国よりも大規模な兵力を送り、他国の撤退後も最後まで駐留を続けた。
シベリア出兵の規模 ── 日本だけ突出
  • アメリカ・イギリス・フランスなどは1920年前後に撤退。
  • 日本は最大で約7万人を派兵し、1922年まで最後まで駐留を続けた。
  • 名目は「チェコスロバキア軍の救出」だったが、実際には北方の権益拡大という思惑も指摘されている。

シベリア出兵が招いた米騒動 ── 前の記事との接続

米騒動そのものの経緯(富山県の漁民・主婦たちの行動から全国への拡大、寺内正毅内閣の総辞職まで)は前の記事で見たとおりです。ここでは、その米騒動がシベリア出兵という国際的な出来事からどう引き起こされたのかを確認します。

第一次世界大戦中の輸出激増で米価はすでに上昇していましたが、決定的だったのは1918年、政府がシベリア出兵の方針を固めたことでした。「軍が大量の米を必要とするのでは」という思惑から投機目当ての米の買い占めが起こり、米価は急騰します。同年8月、富山県の漁民・主婦たちが米の移出禁止と安売りを求めて行動を起こし、これが新聞報道によって全国に急速に広がったのが米騒動でした。

つまずきポイント:どちらが先に起きたか
  • 順番は シベリア出兵の方針決定 → 米の買い占め → 米価急騰 → 米騒動。
  • 「米騒動が起きたから出兵した」のではなく、出兵の方針が先にあり、それが米騒動を引き起こしたという向きで覚える。
  • 国際の出来事(ロシア革命への干渉)が、国内の生活(米の値段)に直結した例。

ソビエト社会主義共和国連邦の成立とその後

用語:ソビエト社会主義共和国連邦(れんぽう)
1922年に成立した、史上初の社会主義国家。通称ソ連。十一月革命(1917)から5年後、干渉戦争が終わる頃に建国された。指導者レーニンの死(1924)後はスターリンが指導者となり、国家が生産計画を決める五か年計画による計画経済を進めた。

五か年計画による計画経済のもとでは、企業の生産量も価格も国家が決めます。市場の自由な動きに頼らないこの仕組みのおかげで、ソ連は1929年に始まる世界恐慌の影響をほぼ受けませんでした。「持てる国」「持たざる国」がそろって不況に苦しむ中、ソ連だけが違う道を歩んだことになります。

日本とソ連の関係 ── 日ソ基本条約と治安維持法

用語:日ソ基本条約(にっそきほんじょうやく)
1925年1月20日調印、2月25日批准。日本とソビエト連邦が国交を樹立した条約。十一月革命(1917)以来途絶えていた両国の関係が、8年後にようやく正常化した。

ロシア革命から8年、ようやく国交が正常化しましたが、同じ1925年に日本国内では治安維持法が制定されています。治安維持法が社会主義・共産主義の運動を取り締まる法律だったことは前の記事で見たとおりです。ソ連という社会主義国家が現実に存在し、国交を結ぶ相手にもなった年に、国内では社会主義への警戒を強める法律が作られた ── この対照も、大正から昭和への転換点を考えるうえで覚えておきたい事実です。

この章でつまずきやすいところ

ロシア革命は「1917年」という1つの年号でまとめられがちですが、実際は数か月おきに起きた複数の出来事の連続です。読み進める途中で生まれる年号・因果関係・順序の迷いを、具体的にほぐしていきます。

三月革命と十一月革命を1つの出来事だと思い込んでしまう

  • つまずく場面:「1917年にロシア革命が起きた」とだけ覚えると、まるで1回の出来事のように感じてしまいます。しかし本文には「三月革命」と「十一月革命」という2つの名前が出てきて、どちらがどちらの話か混乱します。
  • 克服のコツ:2段階で押さえましょう。三月革命は帝政を倒した革命(皇帝が退位して終わり)、十一月革命はその後の臨時政府を倒してレーニンの社会主義政権を作った革命です。「まず帝政が終わる(3月)→次に社会主義政権ができる(11月)」と2段階で読み進めるのがコツです。
  • ミニ例:本文の「単独講和」「平和に関する布告」は十一月革命後のレーニン政権が出したもので、三月革命の段階ではまだ戦争は続いていました。

シベリア出兵と米騒動、どちらが先かを取り違えてしまう

  • つまずく場面:米騒動もシベリア出兵も同じ1918年の出来事なので、本文を読む順番のまま「米騒動が先に起きて、それに対応するために出兵した」と誤解しがちです。
  • 克服のコツ:因果関係の向きで押さえます。政府がシベリア出兵の方針を先に固めたことで米の買い占めが起こり、米価が急騰して米騒動という結果を招いたという順番です。「出兵の方針→買い占め→米価急騰→米騒動」の4ステップで覚えると取り違えません。
  • ミニ例:本文の富山県の漁民・主婦たちの行動は、出兵の方針が固まった後の1918年8月に起きています。

ソ連の成立を革命と同じ年だと思い込んでしまう

  • つまずく場面:「1917年にロシア革命→社会主義国家ができた」と一直線に読んでしまい、1922年の「ソビエト社会主義共和国連邦」という国名が出てきたときに、これも1917年の出来事だと思い込んでしまいます。
  • 克服のコツ:革命(1917)と建国(1922)は5年離れていると覚えます。1917年にできたのはレーニンのソビエト政権(一つの政府)、1922年に成立したのはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)という国家そのもの、と役割を分けて読むのがコツです。
  • ミニ例:本文では、干渉戦争・シベリア出兵(1918〜22)が終わる年と同じ1922年に、ソ連が成立しています。

レーニンとスターリンの役割を混同してしまう

  • つまずく場面:「ロシア革命の指導者」と「五か年計画を進めた指導者」が同じ人物のように感じられ、レーニンとスターリンの名前が入れ替わって覚えられてしまいます。
  • 克服のコツ:順番で区別します。レーニンは十一月革命を指導し、ソビエト政権を樹立した人物。スターリンはレーニンの死後に指導者となり、五か年計画による計画経済を進めた人物です。「革命はレーニン、その後の建設はスターリン」とバトンタッチの順で覚えます。
  • ミニ例:本文の「世界恐慌の影響をほぼ受けなかった」というソ連の五か年計画は、レーニンの死後、スターリンの時代の政策です。

練習問題

問題1(用語)
次の用語の意味を簡潔に答えなさい。
  1. 血の日曜日事件
  2. 三月革命
  3. 十一月革命
  4. シベリア出兵
  5. ソビエト社会主義共和国連邦
  6. 五か年計画
  7. 日ソ基本条約
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(1) 血の日曜日事件(1905):皇帝に生活改善を訴える民衆の行進に軍が発砲した事件。帝政への信頼を大きく揺るがした。

(2) 三月革命(1917.3):食料不足への抗議デモから帝政が崩壊し、皇帝ニコライ2世が退位した革命。

(3) 十一月革命(1917.11):レーニン指導のボリシェヴィキが臨時政府を倒し、史上初の社会主義政権を樹立した革命。

(4) シベリア出兵(1918〜22):ロシア革命への干渉戦争として日本・米・英・仏などがシベリアに派兵。日本は最大規模で最後まで駐留した。

(5) ソビエト社会主義共和国連邦(1922):史上初の社会主義国家。通称ソ連。

(6) 五か年計画:スターリン時代のソ連が進めた、国家が生産を計画する計画経済の政策。世界恐慌の影響をほぼ受けなかった一因。

(7) 日ソ基本条約(1925):日本とソ連が国交を樹立した条約。ロシア革命から8年後に成立した。

問題2(年代)
次の出来事を年代の古い順に並べなさい。
  1. 日ソ基本条約
  2. 十一月革命
  3. 血の日曜日事件
  4. ソビエト社会主義共和国連邦の成立
  5. 三月革命
  6. シベリア出兵の開始
答えを見る

(3) → (5) → (2) → (6) → (4) → (1)

  • (3) 血の日曜日事件 ── 1905
  • (5) 三月革命 ── 1917年3月
  • (2) 十一月革命 ── 1917年11月
  • (6) シベリア出兵の開始 ── 1918
  • (4) ソビエト社会主義共和国連邦の成立 ── 1922
  • (1) 日ソ基本条約 ── 1925
問題3(記述)
三月革命と十一月革命は、それぞれ何を倒し、どのような結果をもたらしたか。違いを説明しなさい。
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解答例:三月革命は、第一次世界大戦の長期化による食料不足への抗議デモがきっかけとなり、皇帝ニコライ2世を退位させて帝政そのものを崩壊させた革命である。かわって成立した臨時政府は戦争を継続し、労働者・農民の不満は解消されなかった。十一月革命は、レーニンの指導するボリシェヴィキがこの臨時政府を倒した革命で、史上初の社会主義政権を樹立し、「平和に関する布告」を出して単独講和により大戦から離脱した点で三月革命と異なる。

問題4(記述)
シベリア出兵が日本国内の米騒動につながった経緯を、当時の政府の方針にふれながら説明しなさい。
答えを見る

解答例:第一次世界大戦中の輸出増加でもともと米価は上昇していたが、1918年に政府がシベリア出兵の方針を固めたことを背景に、「軍が大量の米を必要とするのでは」という思惑から投機目当ての米の買い占めが起こり、米価が急騰した。これに対し富山県の漁民・主婦たちが米の移出禁止と安売りを求めて行動し、新聞報道によって騒動が全国に急速に広がったのが米騒動である。つまり出兵の方針決定が先にあり、それが国内の米価を動かして米騒動という結果を招いた。

問題5(記述)
ソ連の五か年計画(計画経済)は、のちの世界恐慌に対してどのような意味を持ったか説明しなさい。
答えを見る

解答例:五か年計画では、企業の生産量や価格を市場の自由な動きにゆだねず、国家があらかじめ計画して決定していた。そのため、資本主義諸国が生産過剰と株式投機の崩壊から世界恐慌に陥ったのに対し、市場経済のしくみに組み込まれていなかったソ連は、世界恐慌の影響をほぼ受けなかった。「持てる国」「持たざる国」のどちらとも異なる、計画経済という第三の道を歩んだことになる。

まとめ

  • 帝政ロシアは日露戦争の敗北と血の日曜日事件(1905)で早くから基盤が揺らいでいた。第一次世界大戦の長期化で食料不足・兵士の不満が頂点に達する。
  • 三月革命(1917.3)で帝政が崩壊、皇帝ニコライ2世が退位。
  • 十一月革命(1917.11)でレーニン指導のもと、史上初の社会主義政権が樹立された。単独講和で大戦から離脱。
  • 社会主義の広がりを恐れた列強が干渉戦争を起こし、シベリア出兵(1918〜22)には日本が最大規模で参加、最後まで駐留した。
  • 出兵の方針決定が国内の米の買い占めを招き、米価急騰から米騒動(1918、前の記事)の直接の引き金となった。
  • ソビエト社会主義共和国連邦(1922)が成立。レーニンの死後はスターリンが指導し、五か年計画による計画経済を進めた。
  • 計画経済だったため、ソ連は後の世界恐慌の影響をほぼ受けなかった。
  • 日ソ基本条約(1925)で国交樹立。同じ年、日本国内では社会主義を警戒する治安維持法も制定された(前の記事)。

もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)

※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。

シベリア出兵は1918年8月2日、英仏米と共同で宣言された発展

日本政府は大正7年(1918)8月2日、シベリア出兵を宣言しました。名目はシベリアに集結していたチェコスロバキア軍の救出で、イギリス・フランス・アメリカと共同の軍事行動として始まりました。国立公文書館には、この出兵宣言の発表に関する当時の閣議書が残されています。

出典:国立公文書館「日本のあゆみ」

米騒動を引き起こしたのは「出兵の方針」そのものだった発展

国立公文書館の資料によると、第一次世界大戦中の輸出増加で米価はすでに上昇していましたが、大正7年(1918)に政府がシベリア出兵の方針を固めたことを背景に投機目当ての米の買い占めが起こり、米価が急騰しました。同年8月、富山県の漁民・主婦らの行動をきっかけに騒動は全国に急速に広がり、警察だけでなく軍隊が出動しています。

出典:国立公文書館「日本のあゆみ」

出兵に踏み出すまでには政府内でも慎重論があった発展

国立国会図書館の資料によると、当時の寺内正毅内閣は出兵に慎重な姿勢を取っていました。外相の本野一郎は出兵を強く主張する意見書を提出しましたが慎重論を覆せず、病気を理由に辞職しています。最終的にアメリカがチェコスロバキア軍救援のため日米共同派兵の方針を決定したことを機に、日本も出兵に踏み出しました。

出典:国立国会図書館「史料にみる日本の近代」

日ソ基本条約は革命から8年後、1925年1月に調印された発展

1917年11月の十一月革命でソビエト政権が成立して以来、日本とソ連の国交は途絶えていました。国立公文書館の資料によると、1925年1月20日に日ソ基本条約が調印され、2月25日の批准を経て国交が樹立されています。

出典:国立公文書館「日本のあゆみ」