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同じ1929年の恐慌から出発しても、アメリカ・イギリス・フランスは自国と植民地の中で経済を立て直す道を選び、イタリア・ドイツ・日本は対外進出に活路を求めました。ソ連だけは、資本主義の外側にいたため、この対立そのものに巻き込まれませんでした。
世界恐慌はどうして起きたか ── 暗黒の木曜日から世界への連鎖
1920年代のアメリカは、自動車や家電が売れ続ける空前の好景気でした。その裏側では、実際の生産量以上に工場が作りすぎる「過剰生産」と、借金をしてまで株を買う「投機」が膨らんでいました。1929年10月24日、その膨らみきった株価が一気にしぼみ、ニューヨーク株式市場が大暴落します。
アメリカは第一次世界大戦を経て世界最大の資金の出し手(債権国)になっていたため、アメリカの銀行が資金を引き上げると、ヨーロッパやアジアの銀行・企業もまとめて資金繰りに苦しみます。工場は生産を止め、労働者は解雇され、消費がさらに落ち込むという悪循環が世界中で同時に始まりました。
「持てる国」の対応 ── アメリカのニューディールとイギリス・フランスのブロック経済
アメリカ ── ニューディール政策
ニューディールは単なる公共工事ではなく、「政府が需要をつくり出して不況を止める」という新しい発想でした。この発想は、のちの世界各国の経済政策に影響を与えます。
イギリス・フランス ── ブロック経済
イギリス・フランスが「持てる国」と呼ばれるのは、まさにこのブロック経済を組めるだけの広い植民地(資源・市場)を持っていたからです。逆に、イタリア・ドイツと、当時すでに台湾・朝鮮などを植民地としていた日本は、英仏のように広い経済圏を組めるだけの植民地・資源を持たなかったため、この安全な経済圏に入れませんでした。
「持たざる国」が選んだファシズムという道
イタリア ── ムッソリーニとファシスト党
ムッソリーニのファシスト党は、実は世界恐慌より前の1922年にすでにイタリアの政権を握っていました。恐慌の打撃を受けたのちの1935年には、資源を求めてアフリカのエチオピアに侵略します。国際連盟は経済制裁を決議しましたが、実効性のある行動はとれませんでした。
- 年代で見ると、イタリア(1922年)が先、ドイツ(1933年)が後。ムッソリーニの政権掌握は世界恐慌よりも前に起きている。
- 「ファシズム」はもともとイタリア語の「ファッショ(束)」が語源で、イタリアが発祥の政治運動。
- ドイツの「ナチズム」はファシズムの一種だが、ユダヤ人迫害という人種主義がより強く結びついている点が特徴。
ドイツ ── ヒトラーとナチ党
ドイツは1933年に国際連盟を脱退します。実は、この同じ1933年に日本も国際連盟を脱退しており(次の記事でくわしく扱います)、恐慌後に国際協調の枠組みから外れていく国が同時期に重なっていたことがわかります。
日本の場合 ── 昭和恐慌と金解禁の失敗
「旧平価」での金解禁 ── タイミングの悪さの正体
1929年7月に成立した浜口雄幸内閣とその与党・立憲民政党は、「旧平価」(第一次世界大戦前の、実際の為替相場よりも円が高い水準)での金輸出解禁(金解禁)を主張していました。1930年1月、この方針どおりに金解禁が実施されます。
- 実際の為替相場より円高の水準に固定して金解禁を行った → 円が実力以上に高くなる。
- 円高になると、日本の輸出品(生糸など)は海外で割高になり、売れにくくなる。
- ちょうどそこに世界恐慌が重なり、輸出はさらに崩れるという最悪のタイミングになった。
国立公文書館の記録によれば、金解禁後の日本は「世界恐慌の中、正貨の大量流出、物価の大幅下落、企業経営の不振、失業の増加など深刻な恐慌に陥りました」。それでも浜口内閣と第2次若槻礼次郎内閣は緊縮財政の方針を変えず、社会不安が広がって三月事件・十月事件という軍のクーデター未遂事件まで起こります。
農村では繭(まゆ)の値段が暴落し、生糸の輸出が主な収入源だった農家が直撃を受けました。娘の身売りや子どもの欠食が社会問題になり、農村出身者の多い陸軍の若手将校の間で、政党政治・財閥への不信と、軍部への期待が強まっていきます。
1931年12月13日、犬養毅内閣が成立すると、その同じ日に金貨・金地金の輸出を許可制とし、事実上の金輸出再禁止に踏み切りました。金解禁からわずか1年11か月。「旧平価解禁」がいかに無理な選択だったかを物語っています。
- 金融恐慌(1927年):銀行の取り付け騒ぎ。世界恐慌とは無関係の別の出来事。
- 世界恐慌(1929年):ニューヨーク株式市場の大暴落から始まった世界規模の不況。
- 昭和恐慌(1930年〜):世界恐慌+金解禁の失敗が重なって日本を襲った不況。世界恐慌の翌年に起きた別の出来事として区別する。
ソ連だけが恐慌の影響をほとんど受けなかった理由
「持てる国」でも「持たざる国」でもない第三の道として、当時のソ連の計画経済は世界から注目を集めました。世界中が不況にあえぐ中で工業化を進めるソ連の姿は、恐慌にあえぐ人々の目に、資本主義に代わる体制として映ったのです。
ただし、日本国内の恐慌そのものは、1931年12月に大蔵大臣となった高橋是清の積極財政(金輸出再禁止・財政支出の拡大による景気刺激策、いわゆる「高橋財政」)によって、主要国の中でもいち早く回復に向かっています。つまり「昭和恐慌が続いたから大陸進出した」という単純な一本道ではありません。それでも軍部や一部の政治家は、恐慌下で強まった政党政治・財閥への不信を背景に、大陸への進出によって資源や権益を確保する道を選んでいきます。英仏ほど広い植民地・経済圏を持たなかった日本が軍事的な拡大に活路を求めていく、その最初の一歩が、次の記事で見る満州事変です。
この章でつまずきやすいところ
世界恐慌への対応は、国名・年号・政策名が一気に登場するので混乱しやすい単元です。とくに「どの国がどの道を選んだか」と「恐慌の順番」でつまずきやすいポイントを先に押さえておきましょう。
世界恐慌(1929)と昭和恐慌(1930)を同じ出来事だと思い込んでしまう
- つまずく場面:「世界恐慌」の説明を読んだ直後に「昭和恐慌」が出てくると、名前が似ているので同じ出来事を言い換えただけだと思い、年号のズレに気づかないまま読み進めてしまいます。
- 克服のコツ:本文の接続語に注目します。「世界恐慌の影響と金解禁の失敗が重なって」という表現は、2つの原因が合わさって新しい結果(昭和恐慌)が生まれたことを示すサイン。世界恐慌は原因の一つであって、昭和恐慌そのものではありません。
- ミニ例:本文では、金融恐慌(1927)→世界恐慌(1929)→昭和恐慌(1930〜)という3つの別の出来事が並んでいると整理されています。
ニューディールとブロック経済の主体国を取り違えてしまう
- つまずく場面:「持てる国」の段落にアメリカ・イギリス・フランスが続けて出てくるので、どの国がどの政策を行ったのか、読んでいるうちに国名と政策名がバラバラになってしまいます。
- 克服のコツ:単数か複数かで見分けます。ニューディールは1つの国(アメリカ)だけの政策、ブロック経済は複数の国(イギリス・フランス)が使う仕組みの名前。本文で「〇〇政策」と国名がセットで書かれていたらニューディール型、「本国+植民地」という仕組みの説明が出てきたらブロック経済型と読み分けます。
- ミニ例:本文のTVA(ダム建設)はアメリカ一国の公共事業。高関税の経済圏という表現はイギリス・フランスのブロック経済の説明です。
ファシズム=ドイツだけの出来事だと思い込んでしまう
- つまずく場面:ヒトラー・ナチ党の説明が本文で長く、印象に残るため、「ファシズム」という言葉を読んだ瞬間にドイツだけを思い浮かべてしまい、直前に出てきたイタリアの記述を読み飛ばしてしまいます。
- 克服のコツ:年号の前後で国を区別します。本文の「イタリア(1922年〜)」「ドイツ(1933年〜)」という年号を先に確認すると、イタリアの方が11年早いことがわかります。「ファシズムが先に生まれた国はどこか」という視点で読むと、ドイツに偏らずに整理できます。
- ミニ例:本文では、ムッソリーニのファシスト党(イタリア・1922)が世界恐慌より前に政権を握っていたことが明記されています。
「旧平価」の意味を読み飛ばして金解禁の失敗が理解できなくなる
- つまずく場面:「旧平価での金解禁」という表現を、専門用語だからと読み飛ばしてしまい、結果だけ(「昭和恐慌になった」)を覚えようとして、なぜそうなったのかの因果関係が抜け落ちてしまいます。
- 克服のコツ:因果の順番で読み直します。①旧平価(円高水準)で解禁 →②輸出品が海外で割高になる →③輸出が減る →④そこに世界恐慌が重なる →⑤昭和恐慌へ、という5段階の流れとして読むと、専門用語1つが全体の因果関係の出発点になっていることがつながります。
- ミニ例:本文のwarn-boxにある「円が実力以上に高くなる→輸出品が割高になる→売れにくくなる」という3行が、この因果関係をそのまま示しています。
練習問題
- 世界恐慌
- ニューディール
- ブロック経済
- ファシズム
- ヒトラーとナチ党
- 昭和恐慌
- 五か年計画
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(1) 世界恐慌(1929〜):ニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけに始まった世界規模の大不況。世界で数千万人が失業した。
(2) ニューディール:アメリカのローズベルト大統領が行った経済政策。公共事業(TVA)で雇用を創出し、労働組合を保護した。政府が経済に積極的に介入する転換点となった。
(3) ブロック経済:本国と植民地を高関税で一つの経済圏にまとめる政策。イギリス・フランスなど広い植民地を持つ国が採用した。
(4) ファシズム:個人の自由や議会制民主主義を否定し、指導者と単独政党が国家を統制する全体主義。イタリアで先に、ドイツで後に台頭した。
(5) ヒトラーとナチ党:ベルサイユ条約への不満と恐慌による大量失業を背景に、1933年にドイツで政権を握った。独裁体制を築き、再軍備とユダヤ人迫害を進めた。
(6) 昭和恐慌(1930〜):世界恐慌と金解禁の失敗が重なって日本を襲った不況。輸出の暴落と農村の窮乏を招いた。
(7) 五か年計画:ソ連が1928年から始めた計画経済。資本主義市場の外側にあったため、世界恐慌の影響をほとんど受けなかった。
- ヒトラーがドイツで政権を握る
- イタリアでファシスト党が政権を握る
- ソ連で五か年計画が始まる
- 世界恐慌が発生する
- 日本で金解禁が実施される
- 日本で金輸出が再び禁止される
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(2) → (3) → (4) → (5) → (6) → (1)
- (2) イタリアでファシスト党が政権を握る ── 1922
- (3) ソ連で五か年計画が始まる ── 1928
- (4) 世界恐慌が発生する ── 1929
- (5) 日本で金解禁が実施される ── 1930
- (6) 日本で金輸出が再び禁止される ── 1931
- (1) ヒトラーがドイツで政権を握る ── 1933
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解答例:アメリカ・イギリス・フランスは広い国内市場や植民地を持っていたため、アメリカは公共事業で国内の需要を生み出すニューディール政策を、イギリス・フランスは本国と植民地を高関税で囲うブロック経済を行い、その内部だけで経済を立て直すことができた。一方、イタリア・ドイツと、当時すでに台湾・朝鮮を植民地としていた日本も、英仏ほど広い植民地や経済圏を持たない「持たざる国」であり、自国だけで経済を立て直す余地が小さかった。そのため、対外進出によって資源や市場を新たに獲得しようとする道を選び、イタリア・ドイツではファシズムが台頭し、日本は満州事変以降、大陸への進出を強めていった。
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解答例:浜口雄幸内閣は、実際の為替相場よりも円が高い「旧平価」での金解禁を行った。円が実力以上に高くなったことで、生糸などの日本の輸出品は海外で割高になり、売れにくくなった。ちょうどこのタイミングで世界恐慌が発生したため、輸出はさらに大きく落ち込み、正貨の流出・物価の下落・企業経営の不振・失業の増加という深刻な不況(昭和恐慌)につながった。
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解答例:ソ連は1928年から五か年計画による計画経済を進めており、株式市場での取引や自由な国際貿易にもとづく資本主義経済の外側にあった。世界恐慌は株価の暴落と貿易の縮小を通じて世界中に広がったため、その仕組みの外にあったソ連は、世界恐慌による打撃をほとんど受けずに工業化を続けることができた。
まとめ
- 世界恐慌(1929.10.24):ニューヨーク株式市場の大暴落(暗黒の木曜日)から始まり、世界中に不況が連鎖。
- 持てる国:アメリカはニューディール(公共事業・労働組合保護)、イギリス・フランスはブロック経済(植民地との高関税経済圏)で対応。
- 持たざる国:イタリア(ムッソリーニ、1922政権)・ドイツ(ヒトラー、1933政権、失業600万人が背景)がファシズムへ。同じ1933年に日本も国際連盟を脱退。
- 日本は1930年、実勢より円高の「旧平価」で金解禁を実施。世界恐慌と重なって昭和恐慌に陥る。
- 緊縮財政の継続で社会不安が拡大し、三月事件・十月事件などクーデター未遂事件が発生。
- 1931年12月13日、犬養毅内閣成立と同日に金輸出を事実上再禁止。金解禁からわずか1年11か月。
- 農村では繭価暴落・娘の身売り・欠食児童が深刻化し、政党政治・財閥への不信が軍部への期待に転化。
- ソ連は五か年計画の計画経済により、恐慌の影響をほとんど受けなかった。
- 日本が選んだ道は公共事業でもブロック経済でもなく大陸進出。次の満州事変へつながっていく。
もっと知る ── 発展・実生活(出典つき)
※ 教科書の内容に、信頼できる出典をもとにした発展・実生活・時事の話題を補足しています(教科書そのものではありません)。
金解禁は「旧平価」を主張する与党の方針どおりに実施された発展
国立公文書館の記録によると、1929年7月に成立した浜口雄幸内閣の与党・立憲民政党は「為替相場の実勢より円高の旧平価による金輸出解禁」を主張していました。内閣はまず財政の整理緊縮に着手し、その方針にもとづいて1930年1月に金解禁が実施されています。円高での解禁という判断が、のちの昭和恐慌の深刻化につながりました。
金解禁からわずか1年11か月で金輸出は再び禁止された発展
国立公文書館の記録には、金解禁後の深刻な恐慌の中で「三月事件・十月事件などクーデター未遂事件が発生するなど、社会不安が募りました」と記されています。1931年12月13日に成立した犬養毅内閣は、成立したその日のうちに金貨・金地金の輸出を許可制とし、事実上の金輸出禁止に踏み切りました。政策の失敗をどれだけ急いで手直ししたかがわかる記録です。
ニューディール期、アメリカ政府はどれくらいお金を使ったか発展
国立国会図書館の調査資料によると、1933年に大統領となったローズベルトは、当初は緊急の失業対策や給付による救済を行い、その後、財政支出を拡大する政策へと移っていきました。「政府がお金を使って需要をつくる」という考え方が、具体的な財政出動の形で実行されたことが記録されています。
金解禁と再禁止、両方を担当したのは同じ大蔵大臣ではない発展
金輸出を再禁止した1931年12月の犬養毅内閣で大蔵大臣を務めたのは高橋是清です。高橋是清は日本銀行総裁や複数の内閣で大蔵大臣を務めた財政の専門家で、積極財政(いわゆる「高橋財政」)で恐慌からの回復を導いたことで知られています。その高橋は、のちの1936年の二・二六事件で軍の青年将校に暗殺されることになります。
