室町幕府と南北朝 を解く・整理する5ステップ
各ステップをクリックすると詳しい説明と例が開きます。
ステップ 1:ステップ1: 鎌倉滅亡から幕府成立までの流れを押さえる
まず1333年に鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇の建武の新政が2年で失敗、1336年に足利尊氏が光明天皇を立てて建武式目を定め、1338年に征夷大将軍に任命されて室町幕府を開く、という流れを順番に確認します。なぜ建武の新政が失敗したかも合わせて覚えると、尊氏が幕府を開いた理由がつながります。
ステップ 2:ステップ2: 南北朝の対立と合一を地理と人物で覚える
北朝=京都=足利尊氏が光明天皇を立てた朝廷、南朝=吉野(奈良県南部)=後醍醐天皇と、場所と人物をセットで押さえます。そのうえで1392年、3代将軍足利義満が南朝を北朝に吸収する形で合一した、と1つのストーリーにします。
ステップ 3:ステップ3: 足利義満の業績を3点セットで覚える
義満は「南北朝合一(1392)」「金閣建立(1397)」「勘合貿易の開始(1404)」の3つを必ずセットで答えられるようにします。勘合は明から発行された割符(合い札)で、明の港で照合して正規の朝貢船と確認するための証明で、海賊である倭寇と区別するための日明貿易(朝貢貿易)だった、という目的まで言えると満点です。
ステップ 4:ステップ4: 北山文化と東山文化を比較軸で区別する
義満=14世紀末=北山文化=金閣・能楽、義政=15世紀後半=東山文化=銀閣・書院造・茶の湯・水墨画と、「将軍/時期/場所/代表」の4つの軸を表にして覚えます。金閣は3層・金箔・豪華、銀閣は2層・素朴・わびさび、と特徴も対比します。
ステップ 5:ステップ5: 応仁の乱から戦国時代への流れをつなぐ
1467年、8代将軍足利義政の後継争いから、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)に守護大名が分かれて京都で11年戦った、と4点(年・人・場所・期間)を整理します。結果として幕府の権威が失墜し、下剋上の戦国時代へつながる、という後への影響まで言えるようにします。
これだけは覚える
1333鎌倉滅亡 → 建武の新政(2年で失敗)→ 1338尊氏が室町幕府(征夷大将軍)→ 南北朝(北朝=京都/南朝=吉野)→ 1392義満で合一 → 勘合貿易・金閣 → 1467応仁の乱 → 戦国時代。この一本道で年号と人物を結びます。
よくあるつまずき
勘合貿易を自由貿易と勘違いするのはNG。正しくは倭寇と区別する日明貿易(朝貢貿易)です。また応仁の乱は主戦場こそ京都ですが、各地の守護大名を巻き込み、戦後に幕府の権威が失墜して全国的な下剋上・戦国時代のきっかけとなりました。銀閣に銀箔が貼られている、も誤りです。
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出典・最終更新
- 出典基盤:教科書(社会)の核となる手順と概念データに基づく整理。
- 編集方針:教科書頻出の解き方・コツを、段階的なステップに分け、つまずきポイントと核となるルールを併記しています。
- 最終更新:2026-06-27
