中1歴史|3章 問題集
3章 武家社会の成立(武士の登場から室町幕府まで) ── 50問問題集
武家社会の成立(武士の登場から室町幕府まで)の重要事項を、基本20・標準20・応用10の3段階で総点検。答えはタップで開けます。
基本(20問)
問題1
平安時代後期、土地と農民を守るために武装して力をつけた新しい階級を何といいますか。
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武士
地方の有力者が土地と農民を守るため武装したのが武士の起源である。
地方の有力者が土地と農民を守るため武装したのが武士の起源である。
問題2
代表的な2大武士団のうち、清和天皇の子孫で東国(関東)を本拠地とした一族を何といいますか。
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源氏
源氏は清和天皇の子孫で、本拠地は東国(関東)であった。
源氏は清和天皇の子孫で、本拠地は東国(関東)であった。
問題3
桓武天皇の子孫で、西国(瀬戸内)を本拠地とした武士団を何といいますか。
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平氏
平氏は桓武天皇の子孫で、本拠地は西国(瀬戸内)であった。
平氏は桓武天皇の子孫で、本拠地は西国(瀬戸内)であった。
問題4
天皇を退位した上皇や法皇が御所「院」で政治を行う体制を何といいますか。
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院政
院政は上皇・法皇が藤原氏に対抗して始めた政治体制である。
院政は上皇・法皇が藤原氏に対抗して始めた政治体制である。
問題5
1086年に天皇位を退いて上皇となり、院政を始めた人物は誰ですか。
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白河上皇(白河天皇)
白河天皇が1086年に上皇となり院政を開始した。
白河天皇が1086年に上皇となり院政を開始した。
問題6
武士として初めて太政大臣に就任した平氏の棟梁は誰ですか。
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平清盛
平清盛は1167年に武士で初めて太政大臣となった。
平清盛は1167年に武士で初めて太政大臣となった。
問題7
平清盛が貿易を行った相手国はどこですか。
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宋(中国)
清盛は宋と日宋貿易を行い莫大な富を得た。
清盛は宋と日宋貿易を行い莫大な富を得た。
問題8
平清盛が拡張した、現在の神戸港にあたる港の名前を答えなさい。
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大輪田泊
清盛は瀬戸内海航路を整備し大輪田泊を拡張した。
清盛は瀬戸内海航路を整備し大輪田泊を拡張した。
問題9
1185年に平氏が滅亡した戦いの名前を答えなさい。
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壇ノ浦の戦い
1185年の壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した。
1185年の壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した。
問題10
壇ノ浦の戦いで平氏を破った、源頼朝の弟は誰ですか。
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源義経
源頼朝の弟である源義経が壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
源頼朝の弟である源義経が壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
問題11
1185年、平氏を滅ぼした源頼朝が幕府を開いた拠点はどこですか。
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鎌倉
源頼朝は京都ではなく鎌倉に武家政権の拠点を置いた。
源頼朝は京都ではなく鎌倉に武家政権の拠点を置いた。
問題12
将軍が御家人に土地を与えたり保証したりすることを何といいますか。
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御恩
御恩は将軍が御家人に領地を与え保証することである。
御恩は将軍が御家人に領地を与え保証することである。
問題13
御家人が将軍のために戦いで働き、平時は警備をすることを何といいますか。
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奉公
奉公は御家人が将軍に軍役や警備で仕えることである。
奉公は御家人が将軍に軍役や警備で仕えることである。
問題14
国ごとに1人置かれ、御家人の統率・軍事・警察を担当した役職を何といいますか。
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守護
守護は国ごとに置かれ軍事・警察を担当した。
守護は国ごとに置かれ軍事・警察を担当した。
問題15
荘園や公領ごとに置かれ、年貢の徴収や治安維持を担当した役職を何といいますか。
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地頭
地頭は荘園や公領ごとに置かれ年貢徴収などを担当した。
地頭は荘園や公領ごとに置かれ年貢徴収などを担当した。
問題16
源氏3代の将軍が途絶えた後、執権として実権を握った一族を何といいますか。
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北条氏
北条政子の実家である北条氏が執権として政治を行った。
北条政子の実家である北条氏が執権として政治を行った。
問題17
元寇のときに元の従属要求を拒否した鎌倉幕府第8代執権は誰ですか。
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北条時宗
北条時宗は元の要求を拒否し2度の元寇に対応した。
北条時宗は元の要求を拒否し2度の元寇に対応した。
問題18
中国を支配して国名を元とし、日本に従属を求めたモンゴルの皇帝は誰ですか。
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フビライ・ハン
フビライ・ハンが中国を支配して元を建国し日本に服属を求めた。
フビライ・ハンが中国を支配して元を建国し日本に服属を求めた。
問題19
室町幕府を開いた人物は誰ですか。
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足利尊氏
足利尊氏が京都に室町幕府を開いた。
足利尊氏が京都に室町幕府を開いた。
問題20
3代将軍足利義満が京都北山に建てた、金箔を貼った楼閣を何といいますか。
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金閣
足利義満は1397年に北山に金閣を建立した。
足利義満は1397年に北山に金閣を建立した。
標準(20問)
問題21
10世紀に起きた、関東の平将門の乱と瀬戸内の藤原純友の乱をまとめて何といいますか。
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承平・天慶の乱
承平・天慶の乱は10世紀に起きた両者の反乱の総称である。
承平・天慶の乱は10世紀に起きた両者の反乱の総称である。
問題22
1156年に後白河天皇と崇徳上皇が対立し、武士の力が中央政界で重要と示された内戦を何といいますか。
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保元の乱
1156年の保元の乱で平清盛・源義朝が後白河側について勝利した。
1156年の保元の乱で平清盛・源義朝が後白河側について勝利した。
問題23
1159年に平清盛が源義朝を倒し、平氏独走のきっかけとなった内戦を何といいますか。
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平治の乱
1159年の平治の乱で清盛が義朝を倒し源氏は衰えた。
1159年の平治の乱で清盛が義朝を倒し源氏は衰えた。
問題24
平清盛が太政大臣に就任したのは西暦何年ですか。
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1167年
平清盛は1167年に武士で初めて太政大臣となった。
平清盛は1167年に武士で初めて太政大臣となった。
問題25
1180年に平氏討伐を呼びかけた、後白河法皇の皇子は誰ですか。
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以仁王
1180年に以仁王が平氏討伐を呼びかけ各地の源氏が決起した。
1180年に以仁王が平氏討伐を呼びかけ各地の源氏が決起した。
問題26
源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは西暦何年ですか。
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1192年
源頼朝は1192年に征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた。
源頼朝は1192年に征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた。
問題27
将軍を補佐し、鎌倉幕府で北条氏が代々務めて実質的なトップとなった役職を何といいますか。
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執権
執権は将軍補佐役で北条氏が代々務め実権を握った。
執権は将軍補佐役で北条氏が代々務め実権を握った。
問題28
1221年に幕府を倒そうとして挙兵し、敗れて隠岐に流された上皇は誰ですか。
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後鳥羽上皇
後鳥羽上皇は1221年の承久の乱で敗れ隠岐に流された。
後鳥羽上皇は1221年の承久の乱で敗れ隠岐に流された。
問題29
承久の乱の後、朝廷を監視するため京都に設置された機関を何といいますか。
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六波羅探題
承久の乱後に六波羅探題が置かれ朝廷を監視した。
承久の乱後に六波羅探題が置かれ朝廷を監視した。
問題30
1232年に北条泰時が制定した、武士のための法律を何といいますか。
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御成敗式目
1232年に北条泰時が全51か条の御成敗式目を制定した。
1232年に北条泰時が全51か条の御成敗式目を制定した。
問題31
1274年に起きた1度目の元寇を何といいますか。
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文永の役
1度目の元寇は1274年の文永の役である。
1度目の元寇は1274年の文永の役である。
問題32
1281年に起きた2度目の元寇を何といいますか。
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弘安の役
2度目の元寇は1281年の弘安の役である。
2度目の元寇は1281年の弘安の役である。
問題33
元寇後の1297年、御家人救済のため借金帳消しや手放した土地の取り戻しを命じた法令を何といいますか。
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永仁の徳政令
1297年の永仁の徳政令は御家人救済策として出された。
1297年の永仁の徳政令は御家人救済策として出された。
問題34
鎌倉幕府が滅亡したのは西暦何年ですか。
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1333年
鎌倉幕府は1333年に滅亡した。
鎌倉幕府は1333年に滅亡した。
問題35
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が行った天皇中心の親政を何といいますか。
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建武の新政
建武の新政は後醍醐天皇による天皇中心の政治で2年余りで破綻した。
建武の新政は後醍醐天皇による天皇中心の政治で2年余りで破綻した。
問題36
南北朝が合一したのは西暦何年ですか。
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1392年
3代将軍足利義満のもと1392年に南北朝が合一した。
3代将軍足利義満のもと1392年に南北朝が合一した。
問題37
足利義満が1404年に明と開始した、証票を用いた貿易を何といいますか。
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勘合貿易(日明貿易)
1404年に始まった勘合貿易は勘合という証票を用いる管理貿易だった。
1404年に始まった勘合貿易は勘合という証票を用いる管理貿易だった。
問題38
室町幕府で将軍を補佐し、細川・斯波・畠山の3氏が交代で務めた役職を何といいますか。
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管領
管領は将軍補佐役で三管領(細川・斯波・畠山)が務めた。
管領は将軍補佐役で三管領(細川・斯波・畠山)が務めた。
問題39
1467年から始まり、京都を焼け野原にした守護大名の争いを何といいますか。
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応仁の乱
応仁の乱は1467年から11年続き京都を荒廃させた。
応仁の乱は1467年から11年続き京都を荒廃させた。
問題40
8代将軍足利義政が京都東山に建てた楼閣を何といいますか。
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銀閣
足利義政は東山に銀閣を建て東山文化を代表した。
足利義政は東山に銀閣を建て東山文化を代表した。
応用(10問)
問題41
源氏と平氏がともに他の武士をまとめる立場に立てたのは、両者がどのような出自の一族だったからですか。
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皇族から武士になった一族で家格が高かったから
源氏・平氏は皇族出身で家格が高く他の武士を統率できた。
源氏・平氏は皇族出身で家格が高く他の武士を統率できた。
問題42
鎌倉幕府の成立年について、1192年だけでなく実質的な支配の開始としてもう一つ重視される年は何年ですか。
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1185年
1185年の守護・地頭設置で実質的な統治が始まったとされる。
1185年の守護・地頭設置で実質的な統治が始まったとされる。
問題43
源頼朝が京都ではなく鎌倉を本拠地に選んだ地形上の理由を簡潔に答えなさい。
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三方を山に囲まれ南は海の天然の要害だったから
鎌倉は三方を山、南を海に囲まれた守りやすい要害であった。
鎌倉は三方を山、南を海に囲まれた守りやすい要害であった。
問題44
文永の役で元軍が日本の武士を苦しめた戦法上の特徴を2つ答えなさい。
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集団戦法と火薬兵器(てつはう)の使用
元軍は一騎打ち中心の武士に対し集団戦法と火薬兵器で戦った。
元軍は一騎打ち中心の武士に対し集団戦法と火薬兵器で戦った。
問題45
承久の乱では新しい領地を恩賞にできたのに対し、元寇で御家人が十分な恩賞を得られなかったのはなぜですか。
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元寇は防衛戦で新しい土地を得られなかったから
元寇は侵略を防いだ防衛戦で領土を得られず恩賞用の土地が不足した。
元寇は侵略を防いだ防衛戦で領土を得られず恩賞用の土地が不足した。
問題46
永仁の徳政令が御家人にとって逆効果となったのはなぜですか。
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誰も御家人にお金を貸さなくなったから
借金帳消しの結果、貸し手が消え御家人はかえって苦しんだ。
借金帳消しの結果、貸し手が消え御家人はかえって苦しんだ。
問題47
建武の新政が2年余りで失敗した理由を、恩賞の観点から1つ答えなさい。
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恩賞が公家に偏り武士への恩賞が不公平だったから
建武の新政は公家中心で武士の恩賞が不公平だったため反発を招いた。
建武の新政は公家中心で武士の恩賞が不公平だったため反発を招いた。
問題48
明が勘合という証票を用いる管理貿易を求めた背景には、何という海賊への対策がありましたか。
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倭寇
明は倭寇に困り、勘合で正規船と区別する管理貿易を行った。
明は倭寇に困り、勘合で正規船と区別する管理貿易を行った。
問題49
金閣に代表される北山文化に対し、わび・さびや書院造を特徴とする足利義政の時代の文化を何といいますか。
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東山文化
東山文化は義政の時代の文化でわび・さびや書院造を特徴とする。
東山文化は義政の時代の文化でわび・さびや書院造を特徴とする。
問題50
加賀(石川県)で守護を倒し約100年間自治を行った、浄土真宗の信徒による一揆を何といいますか。
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一向一揆
加賀の一向一揆は守護を倒し約100年間自治を行った。
加賀の一向一揆は守護を倒し約100年間自治を行った。
